まとまりのない内容
こんばんは
今日も少しだけ図書館に行ってきました。
自殺に関する本で、希死念慮について、また遺族についてのカウンセラーやソーシャルワーカーの方々がどのような取り組みをしているかが書かれてありました。
実際の事例を事細かに記載されているため、読んでいて非常に苦しくなる時もあります。
さて、今日は高校生の頃を少し振り返ります。
英語科に入った僕は、少人数の男子との交流に非常に苦しみました。
自分から話しかけて打ち解けていく人間ではなかったので、話しかけてくれて始めて会話するみたいな。
そんな僕を支えてくれたのは部活でした。
高校でも陸上部に入り、普通科も英語科も部活は一緒なので、いつもと違う人たちとの交流は楽しく、なぜか部活の時は話しかけていくことに抵抗がありませんでした。
なので、授業の時間と部活の時間とで、別人のように変わりました。
中学の頃ほどの活躍は、高校では叶いませんでした。ですが、一応、学校内では1番だったはずです。たぶん。短距離に関しては。
ただ、先生がかなり厳しく、更に気難しい方で、部員全員が悩んでいました。
知らない間に勝手にキレていなくなってるんですよ笑。でも、勝手に練習して帰るわけにはいかないので、部長さん達が謝りに行くんですよ。大した理由もないのに。
先輩達も、「すみませんでした!」と言ってはいるけど、何に対して怒っているのかが分からないから、何が「すまない」とか、今考えると理不尽な先生でした。
そんな中で、同じ部活で同じ英語科で、っていうつながりで前妻と出会ったわけですが、その関係についてはあまり思い出したくないので、すみません。
すっ飛ばして大学生の頃について振り返ります。
大学は一応、地元では名前の知れた大学に入ることができました。
しかし、完全に学部を間違えました。
経済学部って、真面目に勉強してもわけが分からないんです。
英語科を卒業したのに経済?そうです、僕の英語の学力は中途半端すぎて、英語を専攻する学部に入ることはできませんでした。
名古屋市立大学のなんだっけ、国際文化学部も受けたんですがね・・・。
大学に入ると(あ、入った大学は、南山大学という大学です、その経済学部です)
まず、部活に入るか迷いました、高校の頃の先生が厳しすぎた(性格が気難しすぎた)ため、もうあんな経験はしたくないって思っていました。
でも、やっぱり陸上はやりたいなという思いはありました(さすがに大学レベルになると、全く話にならないくらいなのは分かっていましたが)
そこで直感を優先させていれば、色々と変わっていたんだろうなって思います。
その時、付き合っていた前妻が「部活に入るなら別れる」と言っていたので、部活はあきらめました。
大学生活でも、僕は友達との関わりに毎日苦しみました。
容姿にも自信がない、話す内容にも自信がない、面白いことも思い浮かばない、部活やサークルにも入っていない、周囲の男性との差がハッキリと分かり、劣等感の塊でした。
部活もサークルもしない、じゃあ何をしていたのか、バイトです。
人生で初めて働くことになったアルバイトは、家の近くのドラッグストアでした。
僕はそこで4年間働いていました。
なぜか定着のいい場所のようで、僕が入った時も、4年間続けていた人が卒業で辞めていくからっていう入れ替えの時期でした。
大学生活では、このバイトが、高校生の頃の部活に相当する位置になりました。
つまり、学校内とバイトとは別人のようになる。
学校内で友達はできても、自分から話せない、だから次第に離れていってしまう。
代わってバイトでは、自分から話しかけ、仲良くなれる。
2面性、僕にとっては大切だったのかもしれないなぁ。
この感じは大学卒業まで続きました。
学校内では、本当に楽しくなかった。勉強だけはしっかりやりましたが。
学校⇔バイト の繰り返しです。
って、ただ振り返ってるだけですね。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
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あつし (@chimakichanhope) | Twitter
明日はたぶん、就職活動に触れると思います。あと、大学の頃から病み始めていたこと。
それでは、また明日!
今日もお疲れさまでした!