あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

心を癒すということ

こんにちは

今日はお昼の更新です。

たぶん、夜ももう1つ書くと思います。

いつもありがとうございます。

ツイートもしましたが、今日はまた強烈な寂しさに襲われています。

午前中はひたすらに瞑想(昼寝?)をしていました。

体を動かすことが良いという方もいらっしゃいますが、僕の場合、ジョギングやウォーキング、筋トレ、ヨガなど、やっている最中でも脳がフル回転しているので、夢中で行うことがどうしてもできないのです。

これまでで、一番やって良かったなと思うことは、水泳です。

僕は幼稚園~小学校2年までは一応水泳教室に通っていました。

ですが、小学校2年の時に、急性腎炎を発症し、長期入院しなければいけなくなり、水泳教室は辞めました。

そんなことから、学校の授業だけではとてもじゃありませんが、泳げるようにはなれません。

形こそは何とかできたものの、25mがやっと(どの泳ぎ方も)でした。

泳げないというわけではないですが、特別に好きというわけではありませんでした。

昨日触れた、最初の会社にて、うつを発症し、休職をすることになったのですが、その間にふと「水泳教室受けてみようかな」って思ったのです。

クロールができなかったので、「大人向けのクロール」という市民講座を受けることにしました。

そこで、クロール50mを、無理なく泳ぐことができるようになり、水泳にはまりました。

時間さえあれば、プールに行き(当時は、最初の結婚中で、春日井市という場所に住んでおり、そこの市民プールは50mプールがあったのです)、ひたすらクロールを泳ぎ続けていました。

朝に行って、昼くらいまで、1時間に1回は休憩時間があるのですが、それ以外はひたすらにゆっくりクロールで往復していました。

水の中でのゆったりクロール、激しく疲れないし、結構筋肉もつく、そして唯一、僕が無心になれたのです。

それも離婚とともに行けなくなり、経済的な理由もあり、また25mプールと50mプールとでは大きく違うということもあり、水泳から離れてしまっています。

そんな感じで、これまで体を動かすことでリフレッシュできる唯一効果があったのが水泳、という話でした。

 

で、今日はね、寂しさが強いわけですが、もう仕方ないかって思うんです。

何とかしなきゃっていっても、じゃあどうすればその寂しさを埋めることができるのかって、なかなか難しいと思います。

子供に会えないのはもちろんつらい、ですが子供に会うためには、妻に会わなければならない。

妻と会うのは、強烈な拒否反応が出るので、とてもじゃないができそうにない。

新しいパートナーがいたら?

確かに、それはそう思います(正直すぎるのですが笑)

でも、今この状態(まだ離婚が成立しておらず、仕事も決まっていない)では、仮にそういう方がいらっしゃったとしても、お互いに悩むことが多い気がします。

この段階で、「もう、どうせ離婚なんだから、チャンスだー!」って遊ぼうとする人って、どうですか?

信用できないと思いませんか?

 

正直なところ、心が通い合うような方がいたら、とても心強いな、とは素直に思います。

しかしそれは、相手に依存した自立、ということになりかねません。

つまり、相手との関係を保っていくことに全力を使ってしまい、肝心の自分のケアができないということになってしまいます。

それでは、せっかくの出会いも非常にもったいないですし、悲しいものになります。

 

ということで、現時点での結論

寂しい気持ちは、否定しない。寂しくていい。いやむしろ、寂しくないなんてそれこそおかしいと思う。

寂しいな、寂しいな、苦しいな、人恋しいな、手をつなぎたいな、

そんなことをひたすら感じ、感じまくり、

それでも今、僕は生きている。

少しずつでいい、本当に少しずつでいい。

寂しい気持ちを、少しだけでも客観的に見ることができたら、今後も続くであろう感情の波を、もっと冷静に見つめられるはず。

今、そんな状態だから。

落ちてもいい、仕方ない。

 

でも、こういうことを考えるとね、落ちてしまったからこそ気が付くことが多いんです。

逆に言えば、落ちなきゃ分からない、気づかないって。

それは結果論だと思う。

落ちて初めて分かるって・・・、いや、最初から落ちる必要なんてないんだろうなって思う。

これは、もしかしたら社会的、全世界的な課題になってくると思います。

「僕、生きていたらダメかもしれない」「僕は皆には邪魔者なんだ」「存在してはいけないんだ」

なんてことを、考えることがあったらいけないと思う。

どうして、存在を肯定する環境が生まれないのだろう。たった一人でもいい、どんな状態の自分でも受け入れ、話を聞き、安心させてくれる人や場所。

必要としている人は、たくさんいるはずだ。

 

悲しいけれど、これもすべて、落ちたから気づいたこと。

理想論かもしれないが、もともと落ちる必要なんてなかったはずなんだ。みんな。

だから、少しでも安心してもらえるよう、発信します。

僕は大丈夫、寂しくても大丈夫、うまくいかなくたって大丈夫、傷ついていても大丈夫、

誰かに届け。

そのままの、姿でいいんだよ。安心して息を吸って、安心してご飯を食べて、安心して眠っていいんだよ。

そして、安心して、明日も過ごしていいんだ。

 

最後に、一度落ちてしまうことを知った心、傷つくことを覚えてしまった心は、簡単には癒せない。そして、癒し方も人それぞれ。

僕は、人との関わりで傷ついたり、落ち込むことが多いけれど、

その傷は人との関わりでしか、癒せないみたいです。

 

支え合って、いきたいですね。

長くなってしまってすみません。

読んでくれて、ありがとうございました。