忘れていた感性
こんばんは。
名古屋は37度だったかな、なんかとにかく暑かったです。
みなさんはいかがですか?毎日暑くて、更に台風が来たりと体調が不安定になりやすいですよね。
特にどこも悪くないという人にとっても、この気候はしんどいと思います。
どんどん休憩して良いんだろうなと思います。
さて、今日は図書館に行ってきました。
ツイッターにも書きましたが、本を読んでいて思わず涙が出てきました。
ツイッター上で知り合った方から、フランクルという心理学者を勧められたので、探してみたのですが全部貸し出し中とのことでした。
それで、何となく手に取った本を読んでいた時、フランクルの紹介がされており、ほんとに3ページほどだったのですが、その部分を読んでいると、涙がこみ上げてきました。
フランクルはユダヤ人捕虜として、ナチスの強制収容所で過ごしたそうです。
そこで、希望を失い、自殺をしようとしている2人がフランクルに相談したそうで、その内容が書かれてありました。
一部抜粋します。
『たしかにあなた方は、人生にもう何も期待できない、と思っているかもしれません。
人生の最後の日がいつ訪れるかもしれないのですから、無理もない話です。ナチス
の手でガス室に送られるくらいないら、いっそ、みずから自分のいのちを絶つほう
がまだマシだ。そんなふうに思われたとしても、不思議ではありません。
けれどその一方で、人生のほうはまだ、あなた方に対する期待を捨ててはいない
はずです。”あなたを必要とする何か”がどこかにあり、”あなたを必要としている誰
か”がどこかにいるはずです。そしてその”何か”や”誰か”は、あなたに発見されるの
を待っているのです』(諸富祥彦『生きづらい時代の幸福論』)
僕は、読んでいる間に涙がこみ上げ、文字が見えなくなってしまいました。
強制収容所において、いつ殺されるか分からない方々と比べるなどとんでもないことだとは思います。
ですが、何らかの理由により健康を損ない、それによって仕事や家庭、お金、人間関係を失い、一番近い存在である家族からも批判され、仮に一時的な衝動であったとしても、消えてしまいたいと思ってしまうことは、非常に苦しくて悲しいことです。
僕は思いました、「僕を必要としている何かを探そう、誰かを探そう」って。
いや、正確に言えば、「ずっと探していた」
そして、先ほどの抜粋の部分を読んだ時に、「やっぱりそうなんだ!」と思ったのです。
そんな感動をした後、僕は思い出しました。
HSPの特徴として、自然や芸術に触れた時に大きく感動する。という点がありますが、僕は気づいた時から、感動や感激(特に涙)を外に出してはいけない、と考えていました。
これは、両親の影響が大きいと思うのですが、感情をあらわにすることに強い抵抗があり、望ましくないことだと捉えていたのです。
ですから、かなり小さい頃から無意識に感情を抑え込むようになっていたようです。
涙が出そうなこと、はしゃいでしまいそうなこと、浮かれてしまいそうなこと、それらにあまり手を出そうとしてきませんでした。
今日、本を読んで感動して涙が出た、そんな自然と湧き出てくる感情をこれからは大切にしようと思いました。だってそれが僕の個性だから。
早速、貸し出し中のフランクルの本は予約をしました。
たったそれだけで何が変わるだろう、それでも、心の拠り所が増えることは素敵なことだなと思う。
皆様、今日もお疲れさまでした。
明日から天気が崩れるようです。
それでは、またね!
読んでいただき、ありがとうございました。