休職期間の過ごし方
こんばんは。
今日は、どこかで花火をやっているみたいです。
音だけ聞こえます笑
花火大会ね・・・、行きたいなぁ。そして、子供は行ったのかな、プールとか楽しめてるかな、なんて思ってしまいます。
さて、今日は最初の会社での休職期間について話します。できれば離婚までいっちゃいたいのですが。
会社内や家庭内での様々な原因により、「適応障害」から「うつ病」に診断が変わりました。
さすがに任せてもらえるような仕事がないため、休職という形になりました。
確か2年くらいだったかな、それまで結構しっかりと働いており、会社も大きいですから、制度などはしっかりとしていました。
休職期間の最初の方は、ほとんど寝たきりでした。
寝ても寝ても眠くて仕方なく、「うつなら眠れないんじゃないの?」なんかは毎日言われていました。
これは触れておかないといけないな・・・。
実は、前妻の父親も、うつ病で治療中だったのです。
ね!おかしいでしょ?義父が僕に対して何を言ったか。
「病気の知識だったらなんでも知ってるから、とにかく会社に行きなさい」
それと同時に、何冊か本を渡されました。読め、そして仕事しろ。ということですね。
また、家で寝ていても決して休まりませんでした。
昼に妻から電話があったり、仕事から帰って、僕が寝ているとモノに当たって不機嫌になる。
それを僕がなだめる、仕事の愚痴を聞く、マッサージをする。という感じでした。
毎日寝たきりだと、妻もイライラしてきます。それは理解できます。
そこで運動を勧めたり、資格取得を勧めたり、ボランティア活動を勧めたり
筋トレやジョギング、また水泳をしたりと、試しました。
昨日の記事でも話しましたが、水泳は僕にとって本当に効果があったなと思っています。
資格の勉強はできませんでしたが、ボランティアはやりました。
最初はフェアトレード商品を扱った雑貨屋さん。
でも、その店のオーナーが物凄く裏表がある人で、最初は精神疾患に対し理解があるようなフリをしていました。しかし、話をしている内に、精神疾患に対する偏見が強く、「甘えている」「結局は弱い人」「情けない」みたいなことを言われました。
結局、もう来なくていいといわれ、1週間くらいで辞めました。
それから、家の近くの総合病院でのボランティアをしました。
患者さんの受付(タッチパネルでの受付)の補助、また誘導が主な仕事です。
花壇の水やりもしました。
また、午後からは公民館などの施設を借りて、医師による病気の勉強会を実施しており、その手伝い(椅子運びや、来場者の誘導など)をしました。
このボランティアは、とても楽しかったです。
何人かボランティアの方がいらっしゃり、70代くらいの男性には本当に良くしてもらいました。病気のこと、仕事のこと、家庭のこと、あの方はとても優しかった。温かかった・・・。あの方だけは、本当に尊敬しています。
その方と色々と話しながら、患者さんのお手伝いをし、タダで医者の話を聞けて、病院の職員食堂もタダでお昼ご飯食べることができました。
もちろん、ボランティアなので、報酬はありません。
ただ、同時に病院の職員の裏事情も知ることができました。職員同士、めっちゃ仲悪いんですよ。。。半分ケンカみたいな話し方だし。
僕がこれまで経験したことのある、唯一の温かさを感じた場所(人)は、その病院ボランティアでした。
これは、僕が見つけました。ネットでボランティア募集って書いてあって。
半年くらい続けました。朝から16時くらいまででしょうか。
午後の勉強会がない日は半日で終わったり、雑用を14時くらいまでやったりと。
それでも、家庭内の問題は全く解決せず、やはり時には寝込んでしまうことも繰り返しました。
その後、復職支援施設に通うことになりました。
どれもこれも、少しずつ動ける体と、少しずつ回る頭で自分なりに探して行いました。
その復職支援施設は、心療内科に併設された施設でした。
うつ病の方々12,3名ほど、看護師さんと臨床心理士さんがスタッフとしていらしゃいました。
午前中は座学(心理学や、認知行動療法、交流分析、アサーションなど)を行い、お弁当を食べ、午後は運動(卓球、ダーツなど)や、自律訓練法などを行いました。
そこでの人間関係は・・・、苦しかったです。
表面上は仲良くなるんですね、似たような症状で悩んでいたりしますから。
ですが、毎日顔を合わせていると、次第に少し踏み込んだ話までするようになります。
また、当時、mixi(懐かしい笑)がSNSではまだまだ使われており、その施設利用者のコミュニティにも参加することになりました。
僕は振り返りや気持ちの整理も含め、mixiで毎日日記を書いていました。
最初は、その施設利用者の方々も温かい目で見てくれていたのですが、なぜか僕の日記を否定してくる人が現れました。
僕は(今だからこそ分かるのですが)HSSという気質も持っており、傷つきやすい割に刺激を求める方です。初めましての人でも、どちらかと言うと早く打ち解けたいって思っていました。
ん?・・・、今、書いていて思ったのですが、僕は学生の頃、自分から打ち解けていくのは苦手だったはず。。。だよね。
どうして、あの頃(復職施設を利用していた頃)は、自分から打ち解けるようになっていたんだろ・・・。今、気づいた。本当に。何があったんだろ。
で、まぁ、とにかく比較的社交的に話ができていたので、そんな僕を見て、「あなたはうつ病なんかじゃないでしょ!」って言う人ができてきたんです。
それから、利用者同士での「悪いところアピール対決」みたいなこともありました。
また、薬の知識対決、とか、薬の量対決、みたいな、あとは不幸対決とか。
通いながらも、なんか寂しいなって思いました。
みんなで支え合って、褒め合って、みんなで復職しよう!みたいな僕の思いは、なかなか理解されなかったです。
そこまで色々な体験をしたわけですが、約1年、その施設には通いました。
薬の量はだいぶ増えていました。ですが、施設を利用していることで、寝たきりということがほぼなくなりました。
そうなると、当然、妻も復職を勧めます。というより、施設に通っている間にも散々に言われていました。いつ頃か妻は実家に帰ってしまっていました。
勝手に治療して、一人で復帰して、できたら戻る。みたいな感じでした。
会社には色々と融通を利かせてもらいました。ブラックからホワイトに変わった会社は、本当によくしてくれたと思っています。何度も復帰のチャンスをくれ、時にはアルバイトという雇用形態にしてくれたり、短時間勤務に対応してくれたり、
しかし、僕の急に襲い掛かる恐怖、絶望感、無気力は、全く改善しませんでした。
本当に僕は怠けているだけなのかも、頑張りが足りないのかも、勇気がないのかも、努力が足りないのかも、性格がおかしいのかも、
自分を批判してくる周囲に、自己否定をし続ける自分。
あの時、もっと徹底的に考えていれば、悩み抜いていれば・・・、と思うこともあります。しかし、僕には生まれ持った敏感さ、人一倍疲れやすい特性、人の感情を察知してしまう繊細さ、が備わっていることなど思いもしなかった。
なので、あの時、考えれば考える程、悩めば悩む程、自己否定につながったのだろうと思います。退職→離婚、というリセットができたことだけでも、良かったのかなと思います。
今日も長い話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、また明日!
おやすみなさい。