あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

出勤途中の恐怖感

こんばんは。

今日は2つ目の記事です。

お昼の記事は・・・、読み返しててちょっと恥ずかしかったです。

思いつくままに、添削せず出てきた言葉をそのまま書いたため、、、、。

 

さて、夜の記事としましては、僕のうつ発症について話をしたいと思います。

昨日の記事で、入社した会社でお局さんによるパワハラを受けたと話しました。

もちろん、お局さんによるものではありますが、職場内あるいは会社全体の空気が、助長していたようにも思えます。

というのも、僕がお局さんから嫌がらせを受けていても、同じ事務所内の人は庇ってくれなかったのです。それどころか、先輩に相談をしても、「それは自分で解決していくこと」みたいに言われ、また別の人からは「それを乗り越えて、認められていく」と言われました。

つまり、悪いのは僕で、僕が耐えて、耐え続け、仕事ができるようになって自分の居場所を作っていく、ということですね。

なんか、もっともらしいことを言っているようですが、これって大問題ですよね?

職場の上司も、そのお局さんには強く言えないようで、結果的に僕に厳しく当たることになってしまうのです。

 

さて、僕はその職場に2年いたのち、1年程度の頻度で転々と、職場を異動しました。

いずれもお米に関わる仕事でしたが、役割が違うという感じでした。

4年目で、前妻と結婚をすることになりました。

今から思えば、まだ早かったといえばそうですが、同期でも結婚する人が出てきたため、それに前妻とは、高校2年からの付き合いでしたから、周りも勧めてきます。

結婚式を挙げ、少ししたのち、新婚旅行に行きました。

そして、新婚旅行から帰って、本格的に夫婦生活が始まる、休み明けの出勤の日。

僕は耳を疑うようなことを言われました。

「ごはん、自分の分は自分で用意しないと、誰も用意なんかしてくれないよ!」

と朝起きて言われたのです。

僕は、家事は分担すればいいと思っており、ご飯も作れる方が作れば良いと思っていました。それにしても、ちょっと突き放しすぎじゃないかって思ったのです。

前妻も、フルタイムでの正社員でしたので、仕事に行かなければいけないイライラはあったとは思いますが、僕も同じです。

最初から、協力していくっていう姿勢ではなかったのかなぁ・・・、と思ってしまうのです。

入社5年目に入り、また別の部署に異動しました。

そこにね、いたんですよ、別のお局さんが!!

でも、そのお局さんは、最初のお局さんとは違い、話せば分かる人で、分からなければ教えてくれる。なので、良い人ではあったんですよ。

ただ口調が怖い。僕は最初のお局さんが原因で、年上(10以上とか)の女性が物凄く苦手になってしまっていました。

だから、5年目の職場でのお局さんも、優しい人ってことは気づいていたのですが、脳が拒否してしまって・・・。

で、異変が起きたのが6年目。仕事中は大丈夫なのですが、お昼休みでご飯を食べる時に、吐き気が止まらなくなりました。でも、職場に戻れば平気でした。

しかしそれが毎日続くようになりました。

そんな中、夏くらいですかね、いつも通りに電車に乗って出勤している途中、いきなりです。「もう、ダメだ・・・」

って思ったんです。それと同時にあらゆることが怖くなり、もちろん職場も怖い、妻も怖い。とりあえず、風邪ひいたっていうことで休みました。

ですが、これを僕は妻に言えませんでした。なぜかというと、前妻(現妻もそうですが)は、熱があったり、インフルエンザだったり、目に見える症状がなければ、休むなんてもってのほか!と考えていたからです。

ですから、「急に怖くなって行けなくなった」なんて、とてもじゃないが理解してもらえないことは分かっていましたし、その後も理解はしてもらえませんでした。

ただ、最初は1日休めば、その後は普通に行けたのです。

吐き気は依然続いていたと思います。

月1回くらいだったのが、月2回、週1回と、突発的な恐怖に立ちすくむ頻度が増えていきました。

発作が起きるとか、動けなくなる、というわけではなく、

朝起きて、ご飯を食べて、準備をして、駅まで歩いて、電車に乗って。。。

それで全てのエネルギーを使い果たすという感じです。

電車に乗っている間に、「あれ?こんな状態じゃ仕事できない・・・、怖い」ってなるんです。

さすがに週1回になると、上司も「おかしいな?」って思い始めたようで、心療内科に行くことになりました。

最初の診断は「適応障害」でした。

抗不安薬と、睡眠薬をもらいました。

ですが、休職にはならず、配慮をしてもらった上で、可能な限りで出勤する、という形だったような気がします。

でね、不思議なことに、それくらいの頃になると、会社内の空気が変わっていったんです。ブラックから、ややホワイトに変わっていました。

でも、僕には既に遅かったのです。

 

こう書いていくと、やはり最初のお局さんがかなり大きな引き金となったのであろうと思いますが、色々と考えていくと、根源は前妻との関係にあったのだろうなと思うのです。

その後、休職期間に入っても、前妻および義両親、実両親から非難や、批判をされました。「いつまで休むの?」とか「明日は行ける?」「いつなら行けるの?」なんかはほぼ毎日言われました。

孤立無援ですよ・・・。

例えば、「職場が怖い」「あなたが怖い」と話したとします。

すると、「それは間違っている」とか「考えすぎだ」「誤解だ」と返ってくる。

更には、「あなたの努力が足りない」「責任感がない」「忍耐が足りない」ということを言われました。

そんな環境で前妻からは、「農協を辞めるなら離婚するから」と言われており、プレッシャーがかなりかかって休職をしていました。

 

さて、またまた長い文章を読んで下さり、ありがとうございます!
明日は、休職期間の過ごし方、体調の変化~離婚について話したいと思います。

 

それでは、また明日!

おやすみなさい。