死にたい自分、生きたい自分
こんにちは。
お久しぶりの更新です。
今日は5月12日、木曜日。名古屋は天気が悪く、少しジメジメしています。
このまま梅雨に入るのでしょうか。
週間天気予報を見てないのですが、梅雨の時期もしんどいよね。
僕は個人的な立場ですので、著名人が亡くなったというニュースについても特別に何か弔意を表明するということはしません。
その方が知人であれば話は別です。
まぁ、自死というものはつらいものですね。
メンタルが引っ張られるとか、ツイートの文言に既に飲み込まれてしまう、ということも少なくないと思います。
人の死に対し、「わびしさ、はかなさ」を感じることが多い。
実父が前立腺がんだと診断されました。
治療方針などはこれから話し合っていくことになるようです。
いずれは来るだろうと思ってきた両親の末期。
いや、まだ終わってないわけですが、気持ちの準備というものは、やっておかなければ自分も引っ張られるなと感じるわけです。
特に母親に関しては、メンタルの部分でも父親に依存している(ように見える)ため、父親が崩れてしまうと、もろとも崩れていくのかもしれません。
そういったことを、少し具体的に考えていかないといけないなと思っています。
また、仕事先でも「死」と向き合っていく場面が増えております。
特に副業先は高齢者のグループホームです。
それも週1日だけの勤務です。
先週は元気だったのに、入院してしまったり、亡くなってしまうこともありました。
そこで求められるのは、やっぱり「限りある時間をどれだけ充実していくか」です。
プロの技術とかいうのは、もっと経験が増えていけば自然と身についていくものだと思っていますし、そうでなければ困ります。
それよりも、プロの目線が大切だと感じております。
それは高齢者施設だけでなく、本業においても必要なものです。
利用者さんの視点に立っているか、それは慢心ではないか。
利用者さんの目線になっている「つもり」であることが多い。
色々と考えながら、仕事をしていくようになりました。
そのためか、「疲れ」が半端ないです。
副業はまだ週1日4時間だけの勤務ですが、その4時間はめっちゃくちゃに集中します。
もちろん、笑顔で接することも仕事として重要なことです。
笑顔だけど、「この方の居心地」を常に考えるようになりました。
確かに、グループホームという中は狭いものです。それに、利用者さんが「これをしたい!」というものに応えられないことも多い。
例えば「外部と電話したい」「家に帰りたい」などなど。
また、本業の福祉施設においては、利用者さんからの「要望」がほぼありません。
重度の自閉症、知的障害を持っていらっしゃる方。
ご自身の「やりたい」「ここがいい」など、行動で分かる場合は良いですが、意思疎通が図れない場合は非常に苦しいです。
まぁ、最近でよく言われるのは「虐待」とみられる介護。です。
誰が見ても「居心地良さそうに過ごしているか」という視点で考えると、一つ一つの動作を改めて考える必要が出てきます。
技術だけあれば、知識だけあればいい。という業界ではないんだなってことを考えさせられている毎日です。
とはいえ、仕事が終わればなるべく「しんどいことは考えない」ようにしております。
考え始めると、もう止まりません。
だからこそ、家に帰ればお酒を飲みながら「プエルトリコのレゲトン」を聴いて、大好きだなって思える人といっしょに過ごす。
そんな過ごし方が大切だなって思っています。
今のところ、大好きだなって人と過ごすことはできていません。
色々な面で「訓練の毎日」を過ごしています。
整体に通って、水素を吸って体をリセットしてみたり、知人とランチに行って色々と話をしてみたり、
好きな人に軽くフラれてみたり。
正直、僕は多分、両親が行ってもそこまで大きな感情の変化はないと思います。
それは自分を守るためでもあります。
これ以上、自分が崩れないよう、ある程度のところで止めておく。
そうでなければ、こっちもやられる。
ただ、前述もしましたが、「それなら僕も行くよ」って真剣に思っていた時期もあります。
なんなら両親よりも先に行くつもりでした。
本当に数年前までは、そのつもりでした。
生きる希望というのは、特に固定しなくていいと思う。
どんどん乗り換えていく。
今、死にたいって思っている方、消えたいと思っている方
死ねと言われてしまっている方、消えろと言われている方
どんな繋がりがあるか分かりません。
もしかしたら、このブログを読んでくれるかもしれない。
そう思うと、どんどん文章が長くなってしまいます。
あなたの好きな食べ物はなんですか?
好きな音楽はどんなジャンルですか?
どんな時、笑顔になれますか?
もし、今、あなたが笑顔になれない状況だとしたら、どうすれば笑顔になれますか?
僕はプエルトリコの音楽が好きだと言いました。
PVを見ても、確かに陽気に歌って踊って、お酒飲んでいるシーンがほとんど。
女性と絡んでいるシーンもある。
「そんなの、お金ないとできないじゃん!」
「彼氏、彼女がいないと意味ないじゃん!」
確かに、僕も最初見た時は思いました。
「あの時、病んでいなければ、今頃は年収いくらだったか」
これは死ぬほど繰り返し考えました。
でも、現実は年収これだけしかない。しかも介護・福祉業界は初めて。経験も知識もない。
今、ここにいるのは、紛れもなく自分自身で間違いないんです。
あの時死にたかった、あの時死ねばよかった、あの時はモテていた、あの時は海外旅行を楽しんでいた、僕なんです。
でも、生きているんです。
そして今、感情もある。笑顔になれる時がある。笑顔で仕事をすることができる。
色々言ってくる人たちはいました(ツイッターでも、現実でも)
でも、とことん逃げて、時には自暴自棄になり、それでもやっぱり、レゲトンとビールと女性が好きな自分がいるわけです。
その事実、現実は、とても素晴らしいことだと思う。
色々な環境、生い立ちを持った方々が集まって社会が作られている。
だから、社会不適合なんていう言葉は存在してはいけないんです!
どんな環境の方も、どんな考えの方も、どんな背景を持った方も、全ていらっしゃるからこその社会なんです。
どうして、1日8時間は働かなければ認められないのですか?
どうして、ある程度の単位をとらないと留年なんですか?
数字で物事を見る、という見方は非常に幼稚だと僕は思っています。
そんなのチンパンジーでもできることです。(チンパンジーを引き合いに出してはチンパンジーさんに失礼です。すみません)
でも、数字でしか物事を見られない人っていますよね。
人の心はどうした?どこに捨ててきた?
お客様の立場に立って、などと言いながら、顧客満足度98%とか言ってる人。
やっぱり長くなるので、今日はこの辺にしておきます。
お付き合いありがとうございました!