人生とは孤独なもの
真っ青な空、雲が少ない晴天。
たまに吹く、ほんのり生暖かい風。
雲が少ないけれど、ところどころに見える入道雲。
照りつける太陽、日陰が少なく、どこにいても暑い陽射し。
至る所から鳴き続ける、セミの声。
あなたは、どんなことを想像しますか。
今日は5月24日、まだ夏という時期ではないかと思います。
ゴールデンウィークが明けて、多少の天候の崩れはありながらも、どんどんと気温が上がってきています。
そして、これから梅雨を迎える。
梅雨が明けるのが、今年はいつくらいになるか分かりませんが、真夏の晴天の空。
あなたは何を感じますか?
今年の僕は、一言で言えば「虚しさ」を感じます。
虚しく、はかなく、何だか切ない感情を抱きます。
もちろん、夏はもう少し先の話なのですが、今現在、夏の晴天を思い浮かべると、どことなく寂しく、はかない気持ちになります。
今まで、こんなことを感じることはありませんでした。
かげろうが揺れるアスファルト。
夕方になると、少し涼しい風が吹く。でも、昼間の熱気がやはり残る。
まだ夏だというのに、早目に鳴き始める秋の虫。
そして夜にはどこかから聞こえる花火の音。
蒸し暑い夜、寝苦しい夜。
僕はどうしてか、はかなさ、切なさ、物悲しさを感じます。
毎年、夏になると、新しい出会いを求めたり、海や山に出かけたり、花火を見に出かけたり。
今年の夏は、昨年と比較をすると、少し寂しい夏なのかもしれません。
何かしらを失う、または何かから離れる。
もしかしたらそんな夏なのかもしれません。
花火を見に行っても、少し物悲しさを感じるんだろうな。
人はいずれ亡くなるものです。
例え大金を持っていたり、豪邸を持っていたり、社会的地位が高くても、またはイケメンだったり、美人だったりしても、それを死後に持っていくことはできないのです。
健康な体を持っていたとしても、老いて死に向かう人生を逆らうことはできません。
どんなに美しい女性と結婚をしても、一緒に死にゆくことはできません。
「いやいや、それはない!」という意見もあるとは思います。
ただ、これはあくまで僕が考える人生、生き方というブログです。
いくら年収が高くても、いくらたくさんの子供や孫がいても、優しい女性が隣にいたとしても、死後に持っていくことはできません。
それだけ、人生は孤独だなということです。
僕はここ最近、上記したような「寂しさ、孤独さ、虚しさ、切なさ」を感じています。
どれだけ高い地位にいても、死んでいく時は孤独です。
また、その「死」というものは、いつ起こるか分かりません。
今夜、大災害があるかもしれません。
もしくは、明日になったら、会社から解雇を通告されたり。
パートナーから別れを切り出されたり、パートナーが大事故にあったり。
それらは、本当にいつ起こるか分かりません。
ですから、基本的に人というのは「不安を常に抱いている」ものだと思います。
パートナーの突然の事故に対して、いつでも覚悟できている、というほうが少ないのかなと思います。
ですが、人生とは無常なもので、パートナーの「死」がいつ起こるか分かりません。
パートナーでなく、自分の子供であったり、孫であったり、もちろん自分自身についても、いつどんな変化が起こるかは分かりません。
そんな人生のはかなさを、最近は感じています。
そうは言っても、僕も今すぐに親族が亡くなったとすれば、大変不安ですし、戸惑い、悲しむことでしょう。
あくまでも今の段階としては、
人生は無常。はかなく、切なく、虚しく、そして孤独なものだということ。
そんな気持ちを抱きながら生きていくことは、非常に不安定です。
だからこそ、寄り添い合える相手を探したり、どこかの会社に所属したり、収入をしっかりと得て、自立したいと思う。
でも、少なくとも全ては虚しく孤独なものです。
この虚しさや孤独感に対して、どう対処をしていくか。
それを考えていくことこそ、人生なのかなと思うのです。
はかなく、虚しく、切なく、物悲しい。
こういった感情は、人間としてはごく「当たり前」のものなのかもしれませんね。