あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

僕の他人は誰かの特別

こんにちは。

今日は2022年1月3日です。

あっという間に年を越しました。

このブログは、ツイッターを経由して見に来られる方がほとんどだと思いますが、改めまして

明けましておめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ブログの更新頻度を上げたいとは思っていますが、以前のように「何か発信したい!」という欲があまりなくなっております。

ツイッターの運用もほとんど日常生活のことばかりになっています。

ブログについては、何か形に残しておきたい思考が出てきたら書く、という感じで使っていこうと思います。

 

さて、僕はこれまで生きている中で、たびたび深く考えさせられることがありました。

今回のブログでは、うまく表現できるか分かりませんが、できるだけ伝わりやすいように表現したいと思います。

なお、分かりやすくするため、敢えて伏字は使いません。

また、少し乱暴な言葉を使う部分が出てきます、そしてある意味、過激と捉えられる文言も出てくるかと思います。

大前提として、僕はいわゆる犯罪行為(傷害、殺傷など含む)について容認しているわけではありません。

ということで、内容に入っていきます。

 

今の社会は、親の気持ちとか、子供の気持ちといったものに、ある種の「正解」みたいなものがある社会だと思っています。

例えば、「親は子供に対し、愛情をそそがなければならない」とか

「子供は親に感謝をしていかなければならない」のようなものです。

ある意味「典型的な家庭」というものが、ある程度「正解例」として共通認識みたいなものがあるように思えます。

今の教育環境がどのようになっているかは分かりません。

僕は数十年に渡り、ある程度の「家族とはこういうものだ」というものを伝えられてきたし、「自分もそうなるもんだ」という認識を持っていた。

自分もそうなる、もしくは「ならなければならない」と。

でも、それって正解を作ってしまってはいけないことなんだろうな、ということを考えられるようになりました。

 

それはつまり、「親が子供に愛情を注ぐかどうかは、その親子がおかれている環境、また育ってきた背景によって大きく変わってくる」ということです。

親→子供 に対する接し方も、子供→親 への接し方も、「正解もなければ間違いもない」ということを強く感じています。

 

例えば(例えばかりで申し訳ありません)

僕が今まで生きてきた中で感じてきたこと(つまり、典型的なある意味「正解がある」という考え方に基づく)から考えると

「親が子供を殺したい、殴りたい」なんて考えるのは「とんでもないこと」「間違っていること」である

また逆もしかり、「子供が親を殺したい、殴りたい」なんて考えるのは「間違っていること」ということです。

でも、それって「間違っている」とか「親子関係が歪んでいる」というだけでは片づけられないよなって思うのです。

もちろん、歪んでいる(と判断された)関係を修復するための方法は現在でも様々にあるかと思います。

児童相談所だったり、カウンセリングだったり、それが学校との連携であったりする。

 

確かに「憎い、むかつく、殺したい、殴りたい、親に(子供に)愛情なんて死んでもイヤだ」という感情はいわゆるネガティブな感情になる。

それを変えていこう、とすることは結果的には大切なのかもしれない。

でも、それこそ「今すぐにでも殺したい」というくらいの感情って、そう簡単に変わるものではない。

そこで僕がふと思ったことなんですが、

「親(子供)が憎たらしい」という気持ちって、本当に「間違っている」のかなぁ。

ってことです。

その親子関係を見つめていけば、憎い、殺したい、殴りたいと思うのは「親子どちらかが歪んでいる」ということではなく、「ごく当然のこと」なんじゃないかと思う。

だからその感情を「間違いだ!」「変わらなければならない」とか言うのはすごく簡単なことなんですが、それはすごく苦しいことだろうなと思うのです。

 

親子ともにお互いを憎んでいる関係もあれば、どちらかは平穏に過ごしたい、平和な関係になりたいと思いながらも、相手は憎しみを持っている。

親子の関係は本当に人それぞれです。

だからこそ、そこに「ある種の正解例」を作ってしまってはいけないと思う。

その正解例から離れてしまっている家庭を「悪い、間違っている、おかしい」と判断することってとても簡単です。

でも、その家庭からすれば、生まれ育ってきた環境、現在の環境などを考えると、「いわゆる歪んだ関係」になっているのも「ごく当たり前のこと」。

 

そんな様々な背景を持って、様々な感情を持った人たちが構成しているのが社会です。

色々あって当たり前だし、そこに「正解」「間違い」はないし、

「これが正解なんだよ」と言うのは、とても浅はかだと思う。

 

人生は千差万別だよ、ということが言いたかったことの1つですが

もう1つ、

千差万別だからこそ、そこには助け合いが重要だと思う。

 

誰かにとって特別な人は、道をすれ違った人からすれば、何の関係もないただの他人。

でも、そんな自分も誰かの特別だろうし、誰かの他人。

他人だから、その人のことなんてどうでもいい。と割り切って生きるか、

他人だけど、きっとその人も誰かの特別な人、大切にしたい。

と思うか。

そういった他者を思いやる気持ちが、社会に広がれば、救える命も増えると思う。

親子で殺し合うなんていう悲惨な出来事が起こらないためにも、常に他者にはその人の背景、環境がある。ということを。

もちろん自分にも背景、環境があるということを、尊重し合って生きていきたいと思う。