あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

謝罪をしない親たち

こんばんは。

今日の名古屋は午前中は良い天気でしたが、徐々に曇ってきていました。

夕方にはまた晴れましたね。

梅雨の中休みといった感じでしょうか。

毎食後に服用する薬、いくつか種類がある。

抗うつ薬、それに肝臓の薬、抗不安薬

それに寝る前にはまた別の薬を飲む。

いったい僕はいつまでこの薬たちのお世話になるのだろうか。

また、薬たちは効果があるのだろうか。もし全ての薬を無くしたらどうなるのか。

今のところ、3日くらいは薬が無くても過ごすことができる。

しかし、それ以上になると、睡眠が全然とれなくなってしまうので、せめて睡眠薬だけは欲しくなってしまう。

こういった体になってしまったことには、色々な要因がある。

どれか1つだけなら避けられたことかもしれないが、全てが重なってしまったから起こってしまった。と考えるのが妥当だろう。

 

よく精神科の治療においても、幼少期の頃の生活について、またそれ以降の生活状況について訊ねられることが多い。

また、精神疾患になったことを身内に告げると、だいたいの人が「どうして???」と聞いてくるだろう。

今回は身内、特に親に関する話をしていこうと思う。

息子が精神疾患にかかったと知った親は、「育て方を間違えた???」と考えることが多いように思う。

精神疾患の中には、遺伝的な要素が絡んでくるものもあると思うが、だいたいが後天的な要因がほとんどだ。

成長過程において何か問題がなかっただろうか。

そこを突き詰める意味を理解できない親は多い。

育て方、という言い方は僕は好ましくないと思っています。

乳幼児の時期は、完全に親(または親に代わる人)の保護がなければ生きていけないが、それ以上になると、育てるという言い方より、「接し方」と考えた方がいいと思う。

精神疾患の大きな要因として、両親の接し方がまずかった、問題があったということが多いのではないか。

そして、そのことが患者である僕と両親の間に大きな溝を生んでいることは間違いない。

 

それは、決して過去に遡って犯人を捜そう、としているわけではない。

「あなたたちの接し方に問題があったんだ!!!」

と声を荒げて両親に怒鳴ったところで、生まれるのは溝、そして残るのは薬漬けになってしまい、なかなか気難しくなってしまった自分の体。

 

この場合、僕から両親に歩み寄るのではなく、両親から歩み寄ることが大切だと思っている。

しかし、たいていの場合、両親から歩み寄るということはなされずに終わる。

 

「あの時はそんな風に思っていたんだね。つらい思いをさせてしまってごめんね」

こんな会話がなされなければならないはずだ。

色々な要因が重なってしまい、今という状況がある。

その要因と言うのは先にも言ったが1つではない。両親の接し方は、あくまで数多くある要因の1つに過ぎない。

しかし、その両親と自分との溝が無くなれば、多少なりとも生きづらさが解消されるのではないだろうか。

どうして子供の方からの歩み寄りだけではダメなのかと言えば、両親が歩み寄る意味を理解していないからだ。

 

もっと簡潔に例をあげると

「つらいことがあったらいつでも言ってね」と親が子に伝えたとする。

しかし、親は毎日忙しそう、イライラしていることが多く、とてもじゃないが「しんどい」なんて言えない。

しんどいことをひた隠しにする子供はとても切ない思いをしている。

後にそのことについて子供が触れると、親は「なんでも言ってねって言ってたじゃん!」という訳だ。

 

「なんでも言ってね」なんて言うのは誰でもできる。

ただ言えばいいだけだ。

しかし、それだけでは「なんでも言い合える」ようにはならない。

なんでも言える空気、環境を作らないとなんの意味もない。

その空気づくり、環境づくりというのは子供がすることではない。いや、子供ができることには制限がある。

親も協力して作り上げていかなければならない。

 

しかし、親は自分の非を認めることは避けたい。

なぜなら、精神疾患にかかった原因が自分にある、ということを認めてしまうからだ。

また、過去のことに執着していることを不快に思う親も多いだろう。

 

相手の立場に立ち、寄り添うような言葉かけというものは、そんなに難しいものなのだろうか。

難しいのであれば、意図的に作り出していかなければならない。

まずは歩み寄る必要があるのかないのか、あるのであれば、その意味は何か。

そこが理解できていなければならない。

 

つらかった、寂しかった、孤独だった過去の自分。

あの時、親は見て見ぬふりをしていた・・・。ということであれば、相当に悲しいことだろう。

しんどかった時、会社に行けずに寝込んでいた時、元妻からも協力を得られず寝込んでいた時、

両親、あなたがたは何をしていましたか?

僕にどんな言葉をかけましたか?

 

そして、そこで生まれた溝は、墓場まで持っていくつもりですか?

誰がその溝を埋めなければならないと思いますか?

 

こういった目線で物事を考えて生きれば、より相手に寄り添う気持ちが出てくると思う。

また、コミュニケーションも円滑になるのではないか。

そして、そんなに難しいことではないはずだ。

しかし、現代の社会においては、ふと立ち止まり相手を思いやる心が忘れ去られてしまっているのかもしれない。

 

自分も過去の僕に言いたいことがある。

「あの時は、自分を大切にできなくてごめんね」

 

ありがとう。ごめんなさい。

素直に表現できますか?