あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

両親の世界に支配されること

こんばんは。

2日ぶりに書きます。

激落ちしてしまってまして、よく分からない状態になってました。

そんな中、両親とはほぼ口をききません。というか、日々、極力話してはいないのですが。

僕は、これまでに前妻と離婚して実家に戻ってきた頃からも、両親に自分の「つらさ」を話してきました。

これまでの記事でも書きましたが、僕の両親にとって、僕の気持ちの波(死んでしまった方が良いという波ですら)は、そこまで重視するものではない、という考えです。

繰り返しになってしまいますが、そこには、

「気分の波、なんてのは誰にでもある。自分らも、もうイヤだな、と思うことはたくさんある。だから、弱音を吐いていても仕方ない。それを頑張って乗り越えなければいけない」

だから、「死にたい」とか何とか言っていないで、仕事しなさい。

 

という考え方があるのです。

 

また、前妻や現妻も、似たような考えを持っていました。

ですから、僕が悩んでいることを、物凄く些細なこととしか思わなかった。

「それくらいで死にたいなんて言ったら、私なんてどうなるの!」

のような言葉は、毎日言われていました。

 

昔から、そのように「感情」や「気分」をあまり大切にされずに生きてきたわけなので、「感情」や「気分」を口に出すことが自然とできなくなってしまいました。

それこそ、口にして良い言葉は「ポジティブなものだけ」のような。

「寂しい、苦しい、悲しい」と言ったところで、

「そんなこと考えるな!」と言われるからです。

 

ですが、家庭内でもそうですが、他人の感情には非常に敏感で、痛いくらいに理解ができるのです。

 

今、まさに不安定な状態を生きているわけですが、僕は「敏感、繊細で良かったな」と心から思います。

なぜなら、僕の両親や妻では、絶対に考えたり悩んだりしないような次元まで思考を巡らせることができるからです。

もちろん、そうできたことによって、失ったものはたくさんあります。

 

また、僕は普段からそれほど「やりたいこと」や「やりたくないこと」を言う事がありませんでした。それについてもポジティブな方は求められてきました。

つまり、「やりたいこと」を表現することは求められてきましたが、「やりたくないこと」は無視をされました。

結果として、イヤイヤやる、ということにつながるのです。

そこで、「僕はやりたくない」と意思表示をすると、非難殺到ですよ。

 

そんなことから、僕は「自分の考えていること、感じていることは、大したものじゃないんだ。それらは外に出してはいけない。みんな、そうしているんだ」と考えるようになってしまいました。

 

「つらいことも言っていいんだよ」「我慢しなくていいからね」「やりたくなかったら、言ってもいいんだよ」「つらかったんだね」「苦しかったね」「今まで、がんばって生きてきたね」

 

そんな言葉たちを、どこかの期間にでも、短期間であっても、たくさん受け取ることができていたら・・・。

今、僕は上述のような言葉たちが、とても大切なことを理解しています。

言ってくれる人がいなかったからこそ、余計にその言葉の持つ力、意味が分かる気がします。

 

精神疾患にかかっている方が増えてしまっていることから、僕が初めて発症した頃よりは職場内での配慮、理解が進んでいることだと思います。

しかし、あまりにも身近な人の理解や協力がなさすぎる気がします。

これは、あくまでツイッター上で、様々な精神疾患を患っていらっしゃる方のツイートを拝見してきた中で感じたことです。

 

前半に記述したように、家庭内での人間関係

「家族の中での当たり前なこと」とでも言うか、「親が持つ世界観に子供が支配されてしまう」という状況が、あまりにも当たり前のようになっている。

大切な部分を見ないようにしているのか、それとも気づかないのか。

 

「死にたいくらいに苦しい」「死んでしまった方が良い」

 

これを自分の子供が言った時、「苦しかったね」「悲しかったよね」

という言葉は、自然と出てくるものではないんだな・・・。

やはり、経験しなければ分からないことなのか。

 

苦しいながらも、僕の両親との関係を客観的に見ていくことで、色々なことを発見することができました。

 

なんか、落ちてしまった後の記事は、だいたい似たようなことになってしまいますね。

 

心の拠り所が、僕には必要です。

「苦しくても、悲しくても、大丈夫」

さて、少しずつ楽しいことを考えよう。無理はせず、ゆっくりと。

 

 

ちょっと余談ですが、僕は深刻なことを考えたりする一方で、結構な頻度でアホみたいなことも考えています。

例えば、何かを手に持ったら「ボケるとしたら、どう言おうかな」とか

「学校で習ったことが、もし嘘だったら」とか

「そんなの全部嘘でした~、歴史上の人物なんて、みんな誰かの創作でした~」

だったら

とか

 

あとは、「挨拶をしない」過ごし方をしたらどうなるんだろうと思って、やってみたりとか

(結果、誰も気づいていないことが多かったです笑)

 

そんな感じで、たまに小学生が考えるようなことを考えたりします。

 

ほんなこと考えとるもんで、ツイッターでも、たまーに名古屋弁を使うんだわ

ほいで、文字にするとむずいことが分かるで、めんどくさなるんだわ

 

さあ、明日はどんな1日になりますかね。

週末は雨のようですね。

皆さんも、体調にお気をつけくださいね。

今日もありがとうございました。

いっぱいはなそーねー!