少し前の話
こんばんは。
今日はこの曲に乗せてブログを書いていきたいと思います。
Eminem - When I'm Gone (Official Music Video)
古い曲ですが、僕が好きなEminemのWhen I'm Goneです。
自助会っていうのかな・・・、経験者会みたいな、うつ病やアルコール依存症患者でもよくあるような、自分の経緯とか、考えとか、立ち位置なんかをみんなに話し、自分への理解を深めていくような場。
この曲は、そんな自助会においてのある種の「告白」というシーンとなっています。
この動画内に、Eminemの娘として女の子が出てくるのですが、見事に被るんです。
僕の子供に。
元妻と生活していた時は毎日が悲惨だった。
僕はフラフラな精神状態で朝一番に起きて子供にご飯を食べさせ、着替えをし、車で保育園に連れて行く。
そしてすぐに家に帰る。(とにかく早く)
どうしてか、妻が仕事に車に乗っていくからだ。
車を家に置いたあと、僕はバスで職場へ向かった。
帰りは僕がバスで保育園まで迎えに行き、子供とバスで一緒に帰ってきた。
それから元妻が帰ってくる前に、ある程度の夕飯の準備をしておく。
または洗濯やら掃除をする。
元妻からは「のろい!」「もっと早く帰ってこないと!」「今日の仕事は何時に終わったの?」などと言われる。
そんな中、僕が唯一自分を守る方法は、「キレる」ことだった。
とにかく僕は元妻の言葉一つ一つにキレてしまった。最高潮の怒りが常に、子供の目の前で、僕は自分の頭を殴り、叫び。
泣き叫ぶ。
「どうせ僕がいなければいいんだろ!」「僕じゃなければもっと平和だったんだろ!」
そんな言葉を常に言っていた。
狂っていた。
そういった関係になるには、それなりの理由があります。
あまり思い出すと気分が悪くなるので、これ以上は触れません。
多分、初期の頃のブログに書いたような気がします。
こんな話題も一度は書いています。
僕は「自分ではない誰か」を新しい父親という形で探す方がとても簡単だと思っていた。
もう、とにかく全員の記憶から僕を全て消して欲しかった。
あの生活が続いていたら、今頃子供は、元妻は、僕はどうなっていただろう。
少なくとも僕は死んでいたと思う。
もう耐えられなかった。
逆に、僕さえいなければ良いんだ、と確信していた。
3人揃っては、もう無理だった。。。
と、こんな感じの生活を経て、離婚調停に至って現在に至っているわけです。
未だに収入と体調の安定しない僕
焦るのは当然と言えば当然でしょう。
安定さえしていれば、離婚する必要もなかったわけです。
とは言いましたが・・・、アルバイトとしてフルタイムで安定してそれなりに稼いだ状態での生活も変わりがなかったので・・・、かなりしんどかった。
今、僕は生きてリハビリ勤務という形でまた社会復帰を目指しています。
今度はきっと、子供のため、社会のため、笑顔になれるように生きていきたいと思う。
死にたくなることはあります。
しかし、死にません。つらいけれど、笑顔で生きて社会の中で居場所を見つけるまでは死ねない。
なぜか物凄く重い記事になってしまいました。
まると1週間体調が悪くてリハビリ勤務ができておりませんでしたが、水曜日から再開することになりました。
さぁ、もう一度立ち上がって、前へ進むとしよう。
天気の変化、気圧の変化、湿度、気温など、本当にしんどいですが、皆さんお気をつけくださいね!
それでは、またね~
おやすみなさい🌠