生きる上での土台となること
こんばんは。
8月に入り、お盆期間に突入しました。
全国的に天候が不安定で、発達した前線が停滞している様子です。
局地的な大雨となり、各地で災害につながる危険がありますね。
僕が住んでいる地域でも大雨です。今日も1日中雨でした。
今週末にかけての大雨で、気分転換の散歩に出かけることができないため、ダラダラと過ごしてしまっています。
また、眠気がひどく、寝ても寝ても眠いという状態です。
寝たらスッキリするような気もしますが、変な夢を見て脳が疲れてしまい、起きたら頭痛なんです。
頭痛を和らげるために頭痛薬を飲んだり、リラックスしようとすると、また眠くなる。という繰り返しです。
埋まらない穴
長い間、放っておいて修復が難しくなってしまった、ぽっかり空いた大きな穴
その穴の存在に、僕は気づくことができなかった
穴の空いていない空間だけが、自分の最大のスペースだと思っていた
そもそも空いていることを知らなかった
生きていく中で、ゆっくりとでも埋めていけたら良かった
両親から充分なものがもらえなかったとしても、その穴に気づいてさえいれば、意識的に過ごすことができただろう
でも、僕はそれができなかった
今になって過去の話を振り返っても、ただ虚しいだけです
ありのままの自分が肯定される環境は、多くの人にとってはとても必要なものだと思う
何か特別なことをしたり、例えば収入を得るとか、家事をするとか、そういった「責任」を背負っていなければ、安心して過ごすことができない
そんな感覚を持っていないだろうか
「働かざる者食うべからず」という考え方は、「働くことができる人」だけの社会が前提となっていると思う
つまり、「働くことができる人」しかいない社会だから、「働かない人は食べてはいけない」なんていうひどいことが言えるのだ
また、自分が「働かざる者」になる可能性も考えていない
現在の社会を見てみると、自分がいつ「働かざる者」になるか分からない社会だと感じる
自然と社会に馴染んでいる考え方、それが「働かざる者食うべからず」だと思う
でも、それは極端すぎるし傲慢な考え方だ
働いていなくても、安心して笑ってもいいし、安心してご飯を食べていい、楽しんでもいい
そういった社会が必要だと思う
せめて自分が影響を与えていける分野、業界においては、温かい社会を作っていきたいと思っているし、現在もそういう考えで行動をしている
何かを「がんばって」いるから認められる
のではなく、「生きてそこにいるから、認められる」
自分から「ここにいます!」と言える人と、そうではない人がいる
どちらかに優劣をつける時代はもう終わったはずだ
安心して暮らしていい、という土台があるかないかで、生きづらさは大きく変わってくる
生まれて今までに「生きづらい」と感じたことがない人だっているだろう
その一方で、ことあるごとに「生きづらい、息苦しい、やりづらい」と感じる人もいる
僕はどちらかと言えば、ことあるごとにつまずく人間だった
何が違うのかといえば、やっぱり安心して過ごせる環境があるかないか、だと思う
安心して「これ違うんじゃない?」と言えるか
特に恐れることなく「僕はこうしたい!」と言えるか
それが数年、何十年という積み重ねにより、心身ともに大きなゆがみ(ゆがみ、というか痛み、不快感、違和感というか・・・)が出てくる
そんな体で、毎日笑顔で元気にバリバリ仕事して家事もして、子育てもして!なんてできるはずがないのです
生きづらさを長年にわたって抱え続けてきた体や心は、かなりの傷を負っているのです
その傷を手当することもせずに、更に体を酷使しようとするのは非常に苦しい
傷ついた心身を癒すためには、やはり「安心感」が大切だ
あなたは安心して生きていていいんだ
どんなことでも話していいし、話したくなければ話さなくていい
ゆっくりと気の向くままに過ごしていいんだ
そうやって土台をしっかり埋めていく、これまで抱えてきた生きづらさによってできた穴を埋めていくことが大切なんだ
きっと一人では難しいことだろう
安心感を取り戻していきたいって思いませんか
こういった話題を共有していくことが、重要なんじゃないかと思っています
気づいていない痛みや傷、一緒に癒していきましょう