あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

匿名性について

こんばんは。

今日は2つ目の記事となります。


Alan Walker - Heartless (New Official Music)

 

僕は自分が精神疾患を患うことになり、それが原因であらゆることが変化していきました。

変化とは、退職だったり、離婚だったり、そして再婚、育児、また離婚

その間、何度も転職を繰り返し、社会への復帰を何とか果たそうとしてきた。

それでも、いずれもうまく行かず、結局のところ何も残らない状態となってしまいました。

残ったのは、ほんの少しの荷物と、この体だけ。

 

息苦しいなという感覚は、小学生くらいから抱いていました。

しかし、僕の家庭環境を振り返ってみても、特別に大きな問題があるわけではありませんでしたし、体罰(ひっぱたくとか、きつい言葉をかける)は、比較的どこの家庭でも見られました。

学校でもありました。

ですから、昔の僕は「息苦しい、けれどもそれは僕だけじゃないんだろうな」と思っていました。

周りのみんなが同じような気持ちでいるんだろうと、思っていました。

 

それでも、今、振り返れば違ったんだなってことに気付く。

小学生のあの頃、僕は母親に「カレーが食べたい!夕飯はカレーにして!」

という趣旨の言葉を言った記憶がない。

でも、友達は普通にお母さんに「カレーがいい!」と言っていた。

 

言える環境と言えない環境、ってのがあるんだなって思うのです。

もちろん、言えるか言えないか、という点が、「自分」に問題があるのか「環境」に問題があるのか、というところは大きなポイントだと思います。

それでも、色々なことを「言える環境」で生きてきた人は、きっとそこまでの「息苦しさ」を感じる必要はないんだろうなと思う。

 

僕が思う安心感ってのは、そういう生きていく上での土台の部分のこと。

その土台が揺らいでいたり、突貫工事のように作られた土台だったり、そもそも存在しなかったり、そうすると、自然と生きづらい、息苦しい人生になってしまうのかな。

 

自分の親にすら、「弱い自分」「欲しがる自分」「食べたい自分」「食べたくない自分」「やりたくない自分」を見せることができない。

それは、本当に苦しいことだと思う。

 

そして、きっとそれは大人になって、ある程度もがいてからでなければ、なかなか気付かないものなのかもなって思っています。

僕は散々もがいて、フラフラな状態になりながらも仕事や家事、育児をしてきた。

結果として、僕は何もかも失い、ポツンと一人、放り出された。

そんな僕を見た両親からは、「離婚なんて許さない!」みたいなことを言われたわけで、あの時は本当に味方が誰一人いなかったし、誰にも相談できなかった。

 

過去のことばかり振り返ってはいますが、この記事は一応、そういう趣旨の記事です。

「あー、あの時は苦しかったな、しんどかったな」っていうところから、

「だから今はこう思う」っていう話がしたいと思ったのです。

 

ツイッターを通し、多くの方々と繋がるきっかけを得ることができ、僕は本当に「優しい言葉」を大切にしていきたいと思っています。

賛否、色々なご意見があるとは思いますが、僕は「甘い!」と言われるくらいに優しい言葉が必要な人は、ものすごく多いと感じています。

それくらい、しんどい日々を過ごしてきた。今もなお、しんどい時間を過ごしている。

だったら、せめてツイッターという文字だけでのやり取りにおいては、思い切り優しくたって良いじゃないかと思う。

でも、それは上辺だけの優しさではなく、相手の境遇を想像した上での言葉。

 

SNSでの誹謗中傷によって悲しい出来事が起きたりしています。

僕は本当に思うんですよね。。。

匿名って、「素敵なことをするために使うものなんだよな」って。

例えばランドセルなどを寄付された、「伊達直人さん」のように。

卑劣なことをしてはいけない。

匿名は、優しさを表現するために使いたいと思う。

 

皮肉や中傷、批判なんて、言わなきゃ良いんですよ。

そう感じたら見なければ良いし、関わらなければ良い。

なぜ、わざわざ書こうとするのか。

僕は匿名性を使って、人を批判したり中傷したり、ましてや最悪の状態まで追い詰めるようなことが起こっているこの現状に対し、

とても怒りを感じます。

政府を批判する、とか政治を批判する、ならまだ分かる。

けれども、1個人を・・・、それはあまりにも人として情けない。

 

僕が使っているツイッターも、匿名性が売りとのことですが、いっそのことアカウントは1人1つ、顔つき、本名のみ。

にしたら、利用者はガクンと減るでしょうね。

卑劣な人間はいつの時代にもいます。

そういった人に出くわした時に、穏やかな気持ちでいられるだろうか。

そう考えると、批判をされた側が試されているように感じるが、心が強い、弱い(僕はメンタルが強い、弱い、という表現が非常に嫌いです)は関係なく、

不愉快ではあるでしょう。

顔も見たことない知らない人から「てめぇ!」とか「お前!」なんて言われたくないですよね。

「お前が誰や!」って話ですよね。

 

まぁ、そんな感じで、ツイッターで関わりを持たせて頂いている本当に個人の方ですら、誹謗中傷の対象になっている現実を目にしているため、

そういう行動をする人に、呆れてしまっています。

もっと優しい社会を作っていきたと思っています。

きっと優しい社会といっても、そこにも卑劣な人は存在するでしょう。

安心できる、安心して話ができる、安心できる言葉を伝えてくれる人を増やしていくことが大切かなって思います。

ゆっくり、安心感を広めていきたい。

 

長くなってしまい、すみませんでした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

また明日ね!

おやすみなさい🌠