捨てアカウントをたくさん作る
こんばんは。
今日も蒸し暑い1日でした。梅雨明けはしましたが、何だかモワモワとした熱気がただよっています。
これは僕が住んでいる地域の特有なものってこともありますが、非常に不快な気候です。
昔からそうだったかなぁ・・・
人一倍汗かきの僕は、ちょっと動いただけでダラダラと汗が出てきます。
眼鏡を使っているので、額から落ちてくる汗が眼鏡につくと困りますね。
さて、SNSやらネットを使って色々な情報が入手できたり、共有できるようになっている現代社会において、「たかが一人の発言」であったとしても、非常に重みがあるものとなってくる場合があります。
誹謗中傷、否定的な意見、揚げ足取り、悪口、といったものを発信するということは、とてもリスクがあることだと考えなければならない。
有名人でもない、ごく普通の人同士でも、そういった問題はなくならない。
SNSにしてもネットの掲示板にしても、一応はルール、マナーとして「誹謗中傷、個人を攻撃するような内容など」は書かないようにとうたっている。
でも、決して「書き込めない」わけではない。
あとあとアカウント停止になったり、投稿が削除されたりということはあっても、「書かれた当初」はしっかりと記憶に残る。
色々なアカウントを準備して、特定の人に嫌がらせをするという行為は決してなくならない。
それが原因で命に関わることだって実際に起きている。
社会はその事実に対し、もう少し真剣に考えたほうがいいと思う。
やはり「言ったもの勝ち」な風潮、環境が根強く残っているのだ。
散々言ったあとアカウントを消して逃げていけばいい。
こんな無責任で卑怯な人間が、社会では「ごく普通の一人の人間」として生活していることを考えると、本当に腹が立つ。
匿名で同じ土俵に立ってもいない人間の言葉に、そんなに過剰に反応をする必要はない。
でも、そうは言っても左右されてしまうことだってある。
受け取る側の問題、ということにして済ませる風潮にあるような気がする。
些細なことを否定されたり、批判されたり、非難されたり。
SNSを使ったいじめ、嫌がらせが後を絶たないという事実があるってことは、もう入力をする段階で弾くしかないと思う。
ネットを見てみれば、明確に言わなくても暗にそれを意味するような言葉はすぐに見つかってくる。
(例えば、「死ね」→「〇ね」とか「市ね」「氏ね」「タヒね」など)
そういったものを入力する時に弾いてしまうことができたら、絶対に相手には届かない。
結局、言おうとしている人間が「一人で悶々と悪意を抱く」ことになる。
どこにも発散できない悪意、憎しみ、妬み、怒り、など。
人間の成長のためにも良いのではないだろうか。
「誹謗中傷や批判、否定をすること以外に、ストレスを発散する方法を自分から考えて行動する」
ような社会になれば、いい社会になるんじゃないかな。
人の悪口を言う代わりに、自分の良いところを考えてみるとか。
可能ならば悪く思っている相手の良いところを考えてみるとか。
しかし、実際には一人一人の鬱憤が晴れるくらいに充分なコミュニケーションが確保できていないのが日本の現状だと思う。
いつも寄り添い、自分の気持ちを吐き出すことができる人がいましたか?
おそらく、ほとんどの人はいなかったでしょう。
寄り添って親身に話を聞いていく、本来はそういったことは家族や親族、近い関係の人が担うべきだったと思う。
しかし、誰も余裕がなく、周りには味方がいない環境を強いられた。
また、僕が子供の頃には、「不平や不満を言うことは悪いこと」だと教えられた。
そのため、誰かに対する悪意は持っていてはいけないものだと考えていた。
それは単に、その時の僕の周りにいた大人たちにとって「都合のいい子供」になる、ということだった。
人との距離が分からない、裏表が激しい、嫉妬深く、疑い深く、人を褒めることができない、感謝することもできない
そんな人が僕の周りには多かった。
誹謗中傷をする人だって、もしかしたら心に闇を抱えているのかもしれない。
ただ、誰かに攻撃的になってしまった姿勢は、そう簡単に変わるものではない。
それならば発言する際に、何かペナルティが生まれる仕組みができたらいいなと思うのです。
人の気持ちを踏みにじる行為は、僕は絶対に許せない。