あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

優しい社会っていうけどさ

こんばんは。

10日ぶりの更新です。

今日は常に色々と考えながら生きていく中で、大切にしていきたい考え方について書こうと思っています。

 

僕は日常生活やツイッターにて、頻繁に「ゆっくり生きよう」とか「ゆるゆる過ごそう」、「まったりのんびり生きよう」という言葉を発信しています。

それはとても穏やかなもので、他人を批判したり、ののりし合ったり、揚げ足をとったり、恨んだり妬んだりといったことが、できるだけないように過ごしたいなという気持ちの表れです。

でも、僕はゆっくり優しく生きよう、としておりますが、それをみんなに「優しく生きないと!」と言っているわけではありません。

賛同して頂ける方に分かってもらえたらそれで充分です。

また、全員が「優しい社会」を目指しているなんてことはあり得ません。

 

ある人は人生に勝ち負けがあると思っていたり、人生は競い合いだと思っていたり、

僕なんかよりももっともっと、ゆっくりまったり生きていく人もいる。

 

誰がどうやって生きるか、ということは完全にその人の自由なのです。

ですから、「ゆっくりまったり、優しく生きていく」ためには、あることを覚悟して生きなければなりません。

それは、「色々なことを言ってくる人がいる」ということです。

 

最近では、SNSでの誹謗中傷なんかも大きな問題、もう社会問題というべき環境です。

確かに、顔も見えない、会ったこともない、話したこともない、相手のことなどほとんど何も知らない人に対し

「お前!」と言ったり、「名前を呼び捨て」にしたり、「〇〇しろ!」とか色々な強くて暴力的な言葉を使っていることが人としておかしいわけですが、

 

それでも、そういった言動は絶対に無くなりません。

また、そういったいわゆる生きている次元が違う人、生きている目標が全然違う人、向いている方向が違う人に対し、

「優しい社会を作ろう!」なんて言ったところで、「甘ったれるな!」という言葉が返ってくるだけです。

 

僕が今回言いたいのは、そういった意見の違いってのは、「絶対に無くならない」し、「そういう人がいなくならない環境を受け入れて生きる」必要があるということです。

意見が反する人は、その人はその人で、自由に生きて良い人なんです。

どんな思想を持っていても、どんな生き方をしても良いんです。

 

どちらが正しいか悪いか、どちらが優れているか、劣っているか、というものではありません。

ただ、単純に生きている環境が違う。それをどこまで受け入れることができるか。

ですから、当然、優しく生きていくにあたって、耳の痛い言葉を言われることは多々あると思います。

ですが、だから何なんだ?っていうことです。

意見は違うだろうけれど、僕は優しい社会を目指して生きていくよ。

それで良いんじゃないかと思うし、それしかないと思う。

優しい社会に共感をして頂いている方もたくさんいらっしゃいますが、今すぐに何か大きな変化があるか、と言えば、そんなことはありません。

ですが、少しずつ何かが変わってくると思います。

例えば、笑顔が増えたとか、仕事に行くことが重荷に感じなくなってきた。とか。

 

同居人など身近な人で意見が違っていることも、多々あります。僕もそうです。

ですが、僕はもう「好きなこと勝手に言えばいい」と思っています。

もちろん、僕の体調も浮き沈みがあるので、両親の言葉が重荷に感じることはあります。

だからと言って、自分が目指す「優しい社会」を変えようとは思いません。

 

誰でも安心して、しんどいことやつらいこと、弱音を気兼ねなく話せる社会。

また、誰もが生きていることを楽しみ、笑顔が増え、優しい言葉が交わされる社会。

ゆっくり実現していきませんか。

 

僕の考えに対し、「甘えすぎ」「社会はそんなに甘くない」「無責任すぎる」色々なことを言われてきました。

だから、何だろう?僕の気持ちは決して変わることはありません。