あの時
こんにちは
今日のブログ、久しぶりに昼間の投稿です。
今日はちょっと僕の性格の嫌な部分、というか他人批判ということになるのかな。
僕の置かれていた環境について話したいと思います。
以前にもブログで触れたことがあるかと思います。
僕の2人目の元妻は、とにかく損得で物事を考える人でした。
自分だけが損をするなんていうことは絶対にしませんし、必ず利益がないとダメという考え方でした。
そのためか、少しでも得をしたい気持ちが非常に強く、今思えば、少し法に触れるようなことをしておりました。
見返りのない投資など一切考えない。
身体的にも経済的にも、とにかく効率優先、得優先という人でした。
また、人の気持ちを理解しようとする姿勢はなく、一言でいえば自分勝手。
そして、自分が他人を動かしている、という認識を持っていました。
他人に対して、「使えない」「役に立たない」という発言もしており、職場の愚痴なんかもひどいものでした。
特に自分の上司にあたる人に対してものすごく嫌悪感を抱いており、些細な言動が全て不快に思うという感じでした。
それならば自分はどうなのか?というと、それほどにスキルはなく、経験もなく、目だった取り柄もない。
一方、僕はあまり損得を考える人間ではありません。
財布の中身が500円しかないとして、目の前に切符を買うお金がなく困っている人がいたとしたら、500円をあげるでしょう。
切符+飲み物代、くらいな感覚で少し多いくらいの金額を差し出す。
もちろん、その裏には自分の経済的な安定というものが必要となってくるわけですが、
元妻に関しては、経済的な安定があるにもかかわらず、自分が得をしないと気が済まない人でした。
なぜ今、こんな話をしているかと言いますと、元妻の性格が色々な面で、僕の母親に似ているところがあるなと思ったからです。
母親に関しては、損なことを「一切しない」とまではいかず、「仕方ないから、やってあげる」という姿勢なのです。
そう、やってあげる。
恩着せがましい言い方ですよね。
当然、やってあげるからには、「やってもらう」が伴わないと、不満が出てくるわけです。
このような不満は、本人の問題なので、周りの人間が解決できるものではありません。
元妻は家庭内にも「報告・連絡・相談」が大切と言っていた。
そのことには、「もっともなことだ」と思う人もいると思うし、当然じゃんって人も多いと思います。
しかし、家庭は心を休める場所でなければならないと思っています。
仕事でもピリピリし、家に帰っても効率を求められ、少し休もうとすると、「そんな暇ない!」と言われる。
そのような環境で、伸び伸びと生きることなんてできるはずがありません。
元妻と価値観が同じであればまだよかったのかもしれない。
でも、僕は相手に対し、事細かな「報告、連絡、相談」を求めない。
それよりも日常的な笑顔が少し増えたほうが良いと思っている。
笑顔はお金じゃない。
お金は笑顔じゃない。
どこかで笑顔になれる自分がいなければ、精神は崩壊してしまう。
そういう点では、元妻の精神も崩壊寸前だったんだと思う。
元妻と結婚した理由はただ一つ、子供が先にできてしまったからだ。
子供の存在で何とか埋めようとしていた溝も、7年しても埋まらなかったし、むしろどんどん離れていった。
いや、最初からおかしかった。
穏やかにゆるやかに生きていこう、と言いながら、少し前の僕は「穏やかさや優しさ」を忘れた状態だった。
暴力的、破壊的な僕でした。
だからこそ、これからどう生きていこうか。
お金や効率だけじゃなく、もっと大切にしたいもの。
僕にできることはたくさんあるだろう。