優劣なんてない
こんばんは。
僕は両親、および2人の元妻の影響もあってか、精神疾患にかかるまで、仕事、職種に優劣をつけていました。
本当に分かりやすく話すと、
スーツを着て仕事している人>普段着または作業着の人
という感じです。
精神疾患にかかり、なかなか仕事が不安定で続かなくなってしまった時や、なかなか仕事が決まらなかった時、僕の周囲の人たちは、工場のライン作業「ぐらい」しかできないんじゃないか?という言い方をしてきました。
両親だけでなく、2人の元妻も同じようなことを話しました。
そもそも「働く」ということに「優劣」があっていいはずがない。
しかし、小さい頃から僕は両親に、どちらかと言うとそのような優劣を教えられてきました。
そして、元妻に出会ったことにより、更に強固になってしまったのです。
僕は実際に様々な職種についてきました。
スーツを着る仕事も、そうでない仕事も、工場のラインも。
今は、何の指定もない、普段着で仕事をしております。
振り返ってみると、例え周りの環境の影響だったとしても、仕事に優劣をつけて考えていた時期が約25年くらいあったわけです。
物凄く、恐ろしいなって思うのです。
そして、自分が「何だかおかしいな?」「もう体も心も限界だ・・・」「死にたい」
そんな状態になるまで、気づくことができなかった。
それほどまでに、家庭環境と言うのは、人生を左右してしまう。
そして、「自分」というものが「社会の中では息苦しかった」ということに気づくのも遅かった。
ですから、僕は何度もうつが再発しても、「いや、そんなはずはない!」と何度も何度も同じことを繰り返し、どんどん深みにはまってしまいました。
妻が、仕事に優劣をつけた考えをしていると、苦しいです。
入社したけれど、行けなくなってダメになった時、次に仕事を探そうとしていても、「そんな仕事、あなたにはできない!」とか「これでもやっとけば?」
ということを言うのです。
また、求人に応募するのも、申告しなければ怒るのです。
どうして優しくないのかなぁ・・・。
そこに輪をかけて、「本当に〇〇大学だったの?」とか、「本当にTOEIC〇〇点なの?」というバカにする発言が来るので、なかなかにしんどい。
今となっては過ぎた話です。でも、色々なことに気づくのが遅かったなと思うのです。
どんな人に対しても、笑顔で「お疲れ様です!」って言えたら、気持ちいいじゃないですか。
仕事をしている、していない、病気を持っている、持っていない、経済的に厳しいとか、そういったもので区別することなく、
どんな方に対しても、「毎日、お疲れ様です!」っていう気持ちを、ようやく常に持てるようになりました。
僕にとっては、色々なことが全て、「今」だから気づいた、変わった、のかなって思います。
過去に仕事に優劣をつけていたことは否定しません。
でも、そんな過去があったからこそ、今は強く、余計に、人に優しくなれるのではないかな。
皆さん、毎日本当にお疲れ様です。
そして、出会って下さり、ありがとうございます。
優しすぎると言われても良い。だって、僕がそうされたら嬉しいから。
それに、優しすぎる接し方を、されてこなかったから。