ものの見方について
こんばんは。
今日は10月31日、10月ももう終わりですね。
11月かぁ・・・。
今年の振り返りはまだ2か月先があるので、あと2か月も頑張ろうって思っております。
さて、今日はチラシ配りをしてきました。
チラシ配りは無心になれるし、良い運動になるからお勧めですよ!
と、言いたいところなんですが、僕が無心になる時なんてありません。
自然と目に入ってくる情報から、常に色々なことを考えてしまいます。
表札から、家の感じとか、どんな人が住んでるんだろう、とか。
自然とあの家は〇〇さんの家、みたいに完ぺきではないにしろ、覚えていってしまいます。
毎週チラシを配る地域は同じなので、自然に覚えていくのも無理はありません。
でも、これが「無心にひたすらポストに入れる作業」という捉え方になれば、あれこれと考える必要もなくなるのかな、なんて思います。
また、人によっては、無心にやっている人もいるんだろうな。
あれこれ考えてしまう、ということが何だか悪いこと、欠点みたいな書き方をしていますが、それも捉え方次第でしょうね。
欠点だと見えるかもしれないけれど、良いこともたくさんある。
先ほどから、欠点とか良い、悪い、という言葉を使っていますが、人それぞれに持っている個性に対し、「良いとか悪い」という言い方は良くないと思う。
「僕は常に色々と考える人なんだ」
という事実だけでいい。
それ以上深く追求することはしない。
ましてや善悪や優劣、強弱をつけようとしたら、しんどくて仕方なくなる。
これは、精神疾患を持っていることについても言えると思う。
障害があるから、「悪い」「良い」ということではなく、
「現時点では、社会で生活していくにあたって、障害がある」
という事実の認識だけに留めておく。
それ以下でもなく、以上でもない。
それが、優しいものの見方なんじゃないかなって思うのです。
原因や責任を追求してしまうと、心が疲れます。
エネルギーを使います。色々な物事を自分の責任と考えてしまうのは、非常に危険だと思う。
そうしないためにも、あくまでも事実だけを受け入れる。
そこに善悪、優劣、強弱の判断をしない。
もちろん、判断を言ってくる人はいるでしょう。
しかし、あくまでも自分は、自分を追い詰めるような評価をしない。
他人は何とでも言ってきます。何をしても言ってきます。
そんなものは、無視して生きていけばいい。
善悪や強弱、優劣という価値判断でしか見ることができないということは、それだけ次元が違っているということです。
生きている次元が違う。
だから、どれだけ議論をしてもお互い腑に落ちないままです。
また、その「生きている次元」についても、善悪、強弱、優劣なんてありません。
「ただ、次元が違うんだ」
その事実だけを受け入れる。
こんな感じで生きていこうと考えています。
のんびりゆっくり、生きていこうよ。