自分を認めること
こんばんは。
今日はちょっと遅い時間の更新です。
特別に書きたいことがあったわけではないのですが、虚しい時はその虚しさを表現したら良いんかな、って思ったので書いています。
寒さにはとても弱いので、また、寒さは気分にも大きな影響を与えてきます。
最近はぐっと冷え込んだせいか、なんだかボーッとしてしまったり、昼間の眠気が強かったりしています。
気分がガクンと落ちた時は、たいていは実家に帰ることができません。
ネットカフェに滞在するわけですが、それも少しずつ減らさないといけません。
経済的な問題はもちろんのこと、やっぱり体への負担が物凄い。
ネットカフェにいる間は、ほとんど何も食べません。
飲み物はビールと、フリードリンクのソフトドリンク。
ネットカフェに入った日と、次の日までは楽しめるんです。
音楽を聴いたり、Youtubeで動画見たり、楽しく過ごせるのですが、
一気に体が動かなくなるんです。
「もう帰ろう」と思っても、ネカフェの椅子から体が動かない。
しかし、酒量は増える。
家に帰らなかったこと、その気分の波によって仕事やスクールに影響が出てしまうことに強い後ろめたさを感じる。
現実の自分を見てみると、ネカフェ難民と言えるような状態。
帰る家があるならば、帰ればいい。
そうは思うものの、両親から逃げていくような行動をとってしまうのです。
まずはそういった生活スタイルを変えていかないと、健康にはなれません。
ビールについても、実家ではほとんど飲みません。
ネカフェに行った時に、一気に大量に飲むので、それも体に良いはずがありません。
それに、睡眠も乱れます。
しっかりとした体勢で、しっかりとした時間の睡眠がとれなくなります。
これも悪影響しかありません。
体型を見れば、不健康な事がすぐに分かります。
しんどければ眠ればいい。
家に帰って、ゆっくりと眠れば良い。
やはり、僕はこれまで自分の体調不良を「仮病」だと思っていたところから、仕事を休んでしまうことに対し、後ろめたさが非常に強いのです。
また、やることなすことダメ出しばかりされていた、結婚していた頃。
そんな生活を送っていると、生きていること自体が後ろめたくなります。
自分に対して、色々なことを「許してあげること」が大切なのかなって思う。
「仕事を休んでもいい」「おいしいものを食べてもいい」「楽をしてもいい」「サボってもいい」「真面目でなくてもいい」「優しくなくてもいい」「焦らなくてもいい」
こんなことを、少しずつ自分に認めてあげると、少しずつ息苦しさが減ってくるんじゃないかな。
また、やはり一人だけでそれらを認めていくことって、とても難しいと思う。
そんな時に重要なのは、「誰かと共同で作業していくこと」
じゃあ誰なのか?っていうのは、なかなかそんな人って、見つからないと思います。
カウンセリングであっても、できる場合とそうでない場合がある。
お金にも限度がありますしね。
僕がネットカフェに行っていたこと、たまにツイートでも話してはいるのですが、
やはり誰にも干渉されずにいられる場所を求めているんだろうなって思うのです。
そんな場所が実家であれば一番いい。
でも、親との関係はそう簡単に良好なものにはならない。
時々逃げ出したくなる。
逃げ出す僕がおかしいのか、そういう環境がおかしいのか。
少し考えれば分かるはずだ。
優しい社会を作るためには、すぐ近くの環境から整備していかないといけない。
だから僕はしんどいと思っている人には、できる限り声をかけたいし、
自分の人生を何とか必死に生きていきたい。
それを何らかの形で残していくことができるとすれば、こういったブログなんだろうな。
ゆっくりとまた頑張っていこう。
しんどい時は、思い切って休もう。
楽に生きても大丈夫なんだよ。