自分を苦しめる思考回路
こんばんは。
ちょっと調子が戻ってきたので、またまたブログ更新を続けてみたいと思います。
さて、最近、けっこう頻繁に汗をかいて顔を洗うので、化粧水をこまめに使っています。
そのせいなのか、太ったからなのか
ほっぺの触り心地が、ポヨンとなった気がします。
太ったことも否めませんが、これまでこんなにこまめに化粧水を使うことがなかったので、肌の変化もあると信じたい。
そんな今日はずっと家におりました。
散歩くらい行けばいいのにね、週末のチラシ配りである程度歩くからいいや、なんて思ってしまっていることも危険だなぁ。
あと、自室に物がたくさんあるので、ストレッチや軽い運動をするスペースがない。
これも解決していきたいです。
ただ、気力が持続している時で更に元気もある時でなければ、そういった作業ができません。それも本当に少しずつ、ちまちまとしかできません。
僕は炊事やら洗濯、掃除など、家事全般が全くできないわけではなく、極端に遅く、気力次第なんです。
ですから、他人から見たら、「もっとこうしたら?」とか「動きがのろい」と思われるようです。
あと、よく言われるのが、「それ、やりにくくない?」です。
どうやら僕が普通だと思ってやる動作は、外から見たら、「やりづらい」みたいです。
黙っていてねぇ・・・。ほしいですよねぇ・・・。
昨日の記事にも書きましたが、「できる時にできる分だけ、それで充分」なんです。
他人がやるのと比較をしてはいけない。
そんなことをしたら、もう僕じゃなければ良いって話になります。
そりゃあ当然です、僕の代わりになる人間はいくらでもいます。
しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
まぁ、「やりづらくない?」と言ってくる人が、「お前じゃなくてもいいわ!」なんてところまで考えていることは、ほぼないです。
それこそ、考えすぎの領域になってくると思います。
自分で自分の首を絞めてしまうパターンですね。
誰からも言われたわけじゃないのに、「やりづらい」と言われただけで、「僕じゃなくてもいいんだ!」というところまで考える。
それは、人づきあいで苦しむはずです。
破滅的な考え方に偏ってしまうのも理解できます。
だからこそ、離婚が続いたのかもしれない。
こうして客観的に見ることができても、いざその場になると、急に破壊的な考えをしてしまう。
それはもう、DNAに擦りこまれているんじゃないかってくらいに、当然のごとく考えてしまうんです。
ですから、職場でもそう、夫婦間でもそう。
「自分でなければ良いんだ」「自分じゃない誰かなら、もっと楽なんだ」という考えが、色々な結果の原因の一つだと思うのです。
もちろん、それらは今だからこそ、そう振り返ることができる。
今、浮き沈みと向き合いながらも、これまでとはまるで違う業界で働かせてもらえるようになり、また、経済的にも壊滅的な状況になってしまった(離婚による)状態で、ようやく色々なものが見え始めた。
時々見失うけれど、確実に見えているものがあるかな。
それは、穏やかな社会、差別や偏見のない社会、暖かい社会。
僕が求めているのは、それです。
実現されるかは分かりません。でも、僕が動いていく方向は、その方角なんだろうなと思う。
ゆっくりとしか進めない。立ち止まることもある。「この道じゃなかったかも。。。」ってこともあるでしょう。
そんな時に、このブログが何かの形で未来の自分に影響を与えることができれば嬉しい。
ゆっくりやろう。
さて、明日からまたリハビリ勤務が始まります。
当面はまだ半日のみの勤務です。休まずに行ける月が何か月か続いていかないと、やっぱりそれ以上ってのは難しいと思う。
それも、ゆっくりまったり、無理せずに。
皆さん、今日もお疲れ様でした。
読んでくださり、ありがとうございました。