誹謗中傷について
こんばんは。
ハロウィンから少し経ってしまいましたが、Alan Walkerさんがハロウィンというタイトルの曲をリリースしていたので載せます。
心地よいリズムですね。
激しくもなく、静かすぎるわけでもなく。
Alan Walker - Halloween (New Song 2020)
さて、誹謗中傷というものは、なかなか無くならないものです。
その理由として、同じ人間同士でも、考えていることが全く違うからだと思うのです。
大学院などにおける研究で統計をとったり、データ分析を行う際に、その元となるデータを収集する必要があります。
その方法としては、アンケートだったり、聞き込みだったりするわけですが、
・40代、男性、職業アルバイト、福祉関係・・・、
などのように年代や性別、職業、業界などによって、一括りにまとめる作業が出てくると思います。
非常に便利な考え方ですし、ある程度の平均値のようなものは求めることができるでしょう。
でも、一人一人全然違う人生を歩いているのに、40代男性、という括りにされてしまうのは、何だか違うなと思う。
精神的なことを捉えるには、その個人だけの領域に触れていく必要があります。
「平均的にはこういうデータがある」からといって、「その個人」にとって意味のあるものかどうかは違ってきます。
でも、会社なんかの会議中では、非常に便利なものとして使っています。
集計データ。
誹謗中傷の話から少し逸れてしまいましたが、人間が違えばすべてが違うわけです。
「きっとこうに違いない!」とか「自分の周りはみんなこうだから!」とか
たかがそれくらいの認識で、人を判断するのは非常に危険であるし、まだまだ考え方が甘いと思う。
ちょっと回りくどい書き方をします。すみません。
「私が疲れて家に帰ってきた時に、先に家に帰っているであろう旦那さんは、部屋の掃除をやってくれて、夕飯の準備くらいはしてくれているはず。
そこまでじゃなくても、せめて掃除くらいは終わっているはず。
そうじゃないともうやってられない!」という気持ちで家に帰った時に、家には旦那さんがいて、
「ほら!何にもしてない!たまには気を利かせてやっといてよ!」
という怒りをもってしまう傍らに、
「お、思ったより早かったじゃん。ちょうどこれから夕飯何にしようか考えようかなって思ってたんだよな。一人でやるより二人で分担したほうが早いしね。
そうそう、実はたまにはやらないと、と思って掃除機までかけといたんだ」
なんて思っている旦那さん。
私はこういう思いで疲れて帰ってきたのに、それも分かってくれず、掃除をしたんだかしてないんだか全然分からないくらいの状態で、夕飯の準備すらしていない、
そんな目の前にいる旦那さんは、まるで別のことを考えている旦那さん。
というわけです。
こういうことは、日常的によく起こることだと思います。
それくらいに、人が違えば考えていることって、本当に違う。
それを、例えばSNSのように、どこの誰だか分からない人と繋がる世界で考えておきたいことは、「このツイートをした時、それを見てくれる人がいる」ということ。
ツイッターだけに限りませんが、僕はSNSといえばツイッターしか使っていません。
ラインは本当に身内の連絡くらいです。
電波の向こう側には必ず、「自分とはまるで違った生活環境を持った、まるで違った背景を持った、かけがえのない一人の人がいる」
ということを忘れてはいけない。
ネットでの掲示板への書き込みなり、動画のコメント欄なんかを見てみると、
僕が非常にイラッとくるのは、「文が短いコメントです」
また、名前も知らない相手に向かって、「〇〇しろ、〇〇だ!」などという命令口調を使う人。
文が短いコメントについては、何でイラッとするかというと、感情が伝わってこないからです。
コメントしているほうも、別に特別な感情なんてないよ、ってことなのかもしれないけれど、
「どうしてこうも冷たいような言い方ができるかなー」って思うことが多々あります。
また、文章が長いことがうざいと思う人もいる。
こうやってブログとかツイートとかすることで、全世界に向けて発信をすることになるわけですが、やっぱり言葉遣いには気を付けるし、色々な意見があって当然だなっていうことを前提として発信しています。
ただ、色々な意見があって当然だからといって、その人を追い詰めるような言葉、先ほども挙げた「命令口調、脅迫口調」なんかは話にならない。
信じられない人もいるかとは思いますが、感情は文字に乗って相手に伝わります。
それも、思っている気持ちがそのまま伝わればすごく嬉しいですが、そんなに簡単なことではありません。
発信する側と、受け取る側が、ちょうどパズルのピースがくっつくみたいなイメージで形が合うと、しっかりと受け取り合うことができます。
ツイッターを使っていく中で、その匿名性を利用して色々と人を追い詰めたり、批判したりする人、されている人、僕も一時期されたことがありましたが、
そんな虚しい社会で良いのかなぁ、って本当に思います。
毎日色々としんどさを、みんながそれぞれに大変なことやつらいことを抱えながら、克服しながら、時には寝込んでしまうこともあり、そうやって生きている社会で、
誹謗中傷することがいったい何になるんだろ。
もっとお互いに労わろうよ。お互いをねぎらうことが、あまりにも少ない社会だと思う。
「君もしんどかったね」
って、笑顔で言える人間に、僕はなりたい。