あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

告白ができますか?

こんばんは。

今日は久しぶりに良い天気になりました。

そこまで暑くもならず、過ごしやすかったわけですが、僕はあまり元気がありませんでした。

全体的に疲れているような感じです。

肉体的にというより、精神的に。

眠ることである程度は回復しますが、目が覚めた瞬間から色々なことを考えてしまいますから疲れてしまうのも無理はありません。

考えることも、自分を追い込むものだったり、自分にとってマイナスになりうる内容のことが多いのも事実です。

 

昨日、これからは「自分」を主体に考えていきたいなという記事を書きました。

それはそれで、これまで長年抱えてきた「漠然とした恐怖感」を具体的に捉える事ができるようになったという点で大きな進歩です。

更にずっと持ち続けてきたものが「脳の誤作動」だったことにも気づくことができた。

 

そのような誤作動を起こし続けてきたためか、自然と考えることがネガティブな内容になることが多いのだと思います。

また、一度考えてしまうとなかなか頭から離れない。

 

自分の人生を生きているはずなのに、どうしてこうも自分を「不安に陥れる」ようなことを考えてしまうのか。

もうちょっと、自分にとって有利に捉えることができても良いのかなと思う。

それもきっと、長年の経験によってパターン化されたものなのだろうな。

 

例えば、僕はこれまで「条件付き」でなければ「楽をしてはいけない」と思ってきました。

つまり、「お金を稼いでいなければ」、「ご飯を食べてはいけない」なんていう考え方です。

ご飯を食べるだけじゃありません、物事に口を出してはいけない、リラックスして過ごしてはいけない。

みたいなことを、どういうわけか自然と考えるようになってしまいました。

 

ですから、僕がいざ働くことができなくなってしまった際、もう存在の価値がまるでない。みたいなことになってしまうのです。

とは言っても、結婚していた時なんて、しっかりと働いていても家庭内ではなぜかビクビク、妻の言動にはビクビクしていた。

ですから、僕の精神疾患の根源として、昨日の記事に書いたような「恐怖感」とは別に、ある種の洗脳のように刷り込まれた、「自分へのダメ出し癖」があるのだと思います。

それらも更に深く見ていくと、色々なものに分かれていくんじゃないかな。

ただ、まぁ、自分が主人公ではなかったということについては、かなり大きな問題だったと思います。

 

あと、とても大切だと思うことがあります。

 

あなたは、「告白」できる人がいますか?

 

「告白」と言っても、恋愛感情を伝えるというわけではありません。

「実は僕は〇〇〇〇なんです」ということを、安心して伝えられるということが、非常に大切だと思っています。

生きていればたいていの人は、多かれ少なかれ、人にあまり知られたくないことってありますよね。

また、気づかれたくないこと、言いたくないこと、隠しておきたいこと。

例えば職場においては、「できないヤツ」と思われるのはイヤなので、「本当はできない、したくない」けれど、隠してしまう。

 

本当は怖くて仕方ないけれど、誰にも言えない。

または、言ったところで「気のせいだよ、考え過ぎだよ」「みんな一緒だよ」で片づけられてしまう。(昨日も同じこと書きましたね笑)

でも、そんないわゆる自分が身に着けている「鎧」のようなものを、脱ぎ捨てて、ありのままの自分を見せることのできる人がいるかどうか。

これが物凄く大きいことだと思っています。

理想としては、その相手というのが、「奥さん」だったり「旦那さん」であることが良いのですが。

なかなか現実、そうもいかないことが多いと思う。

誰か他の人でも、そういうことを伝えられる人がいることはとても強みになります。

僕はそんな人が一人もいなかった。

もしかしたら、話せば理解してくれたのかもしれない。

けれど、話すことができなかった。

「話すことができなかった」というのが、「自分の問題」なのか「相手の問題」なのかはまた、大きな問題なので今日は触れません。

 

僕は長年、ありのままの自分を、ありのまま受け入れてくれる人がいなかった。

ですから、余計に孤立感、虚無感が強いのかもしれません。

誰にも相談できずに、一人ですべてを背負ってきた。

でも、今、リハビリ勤務をしている職場の人たちは、少しずつ話していっても、問題ないんじゃないかなと思っています。

それくらい、安心感って大切だと思う。

疲れた時に、「あー、もう疲れたー」と自由に言っていい環境かどうか。

 

そんな部分でも、自分に制限をつけて生きてきたんだなと思うと

「それは・・・、しんどいよねぇ」となります。

強がらなくても良い。怖くてもいい。できなくても、知らなくても良い。

どんな状態の自分でも、安心して「存在してもいい」環境があるかどうか。

僕にはとても大きな問題だろうなと思っています。

 

長くなってしまいましたが。

やっぱり「安心感」に戻ってくるんだなぁ。というところで、今日はこの辺で。

読んでくださり、ありがとうございます。

それではまた明日!