あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

紐をほどくように

こんばんは。

さて、気が付いたら10月ももう半ばですね。


Alan Walker - Vibes Heart (New Song 2020)

やっぱり最近の僕は、浮き沈みの波が短いスパンで来ているような気がします。

先月までは2週間または10日くらいに1度だったのですが、今では1週間に1度は落ち目がやってきています。

その度に職場や両親、ツイッターにて関わっている方々に心配をかけてしまうのですが。

はっきり言って、この波が全くなくなることは、ないと思っています。

何かしらの波と付き合って生きていかなければいけないんだろうなって思うのです。

主治医からも、そんな感じで言われています。

 

頓服薬や抗うつ薬を服用はしていますが、まるで効果がありません。

しんどくなったら、とにかく眠る、そんな過ごし方をしております。

まぁ、その前に「とにかく眠る」ことができる環境を作るってことが大切ですし、それがなかなかに難しい場合があります。

 

とにかく眠っている状態の時は、お腹が空いたタイミングで少し食べる程度、トイレに行くのも億劫な状態です。

周りからは「そんな風には見えないよ」と言われる度に、僕はしんどかった。

最初の方はそう言われることがまだ救いだった時もありました。

しかし、一向に良くならない症状、どんどん移り変わっていく症状と向き合っていく中で、

徐々に笑顔が減り、徐々に言葉が減り

 

そんな時に、「あなたの笑顔が見たいんだよ」という言葉をかけてくれる人が、僕にはいなかった。

両親は、どちらかと言うとコミュニケーションが不足している。

僕が子供の頃は、僕が少しふざけた役をやったりして会話をしていたし、

特に母親に対しては、僕から声をかけるということが多かった。

それが今は、僕から母親にはほとんど声をかけない。

声をかけられて初めて話す。

 

これは、敢えてそうしているともいえます。

敢えて手伝わない、敢えて声をかけない、敢えて会話に参加しない。

敢えて挨拶をしない。

 

僕は男兄弟の次男だった。周りの友達も男ばかりだった。

そんな環境ですと、泣き言を言うことがどんどんできなくなります。

泣きながら「助けてよ、苦しいよ」と素直に言えなくなってきます。

 

寂しい時、少し我慢してから「寂しい」というのではなく、寂しいと思った瞬間にその思いを発する。

これが幼い頃にどれくらいできていたか、が、その後の発育に大きく影響してしまうのかなって思うのです。

子供時代は「我慢強くて偉いね!」で済んだ話が、

大人になると「感情表現ができないヤツ!」「暗いヤツ!」「無表情」となる。

また、仕事でも我慢がすぐに出てしまうと、「助けを求めることもできない人」ということになる。

 

我慢できた方が良かったんじゃないの?

どうして大人になったら、まるで逆になってるの?

困ったらすぐに「助けて―」って言っている人の方が、どちらかと言うとスムーズに仕事に入っていける。

 

我慢するってことは、良くなかったんだね。

しんどかった、つらかった。

そもそも、最初から我慢なんてしたくなかったんだね。

最初から「お母さん、怖いよ」って言いたかったんだ。

最初から「寂しいよ、苦しいよ」って言いたかった。

それが何らかの環境によって、拒絶されてしまった、制限されてしまった。

それは自分の責任じゃない。

でも、きっと僕も言われた

「もっと早く言えば良かったのに・・・」

言える環境じゃなかったのにね。

 

何かに迷ったら頼ってきてね

ということを、堂々と言っていきたいな。

それはうつ病や、それに付随する色々な疾患のことだけじゃなく、日常的な色々なこと。

誰にも言えずに苦しんでいることは、やっぱりつらい。

それに、どこでその歪が現れるか分からない。

思わぬところで、急に無気力になったり、思わぬところで、思わぬ形で現れてしまう。

それはとても悲しいです。

ただ、「さぁ、言って下さい!」と言ったって、それなりに積み重ねてきた人生

何を話せばいいのか、何が問題なのか分からない

そんな時は、生まれてからの話をしたらいかがでしょうか?

記憶があるところからで良いと思います。

思い返していくうちに、

「あれ?僕って、あの時、我慢なんてする必要なかったんだな」

なんて気づくかもしれません。

 

僕もしんどさと付き合いながら、過去を悔みながら、何とか生きていきたい。

一緒に生きていきましょう。

一人じゃないですよ。