あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

うまくいかなくても大丈夫

こんばんは。

2日ほど、また更新ができませんでした。

元気といえば元気だし、そうでもないといえばそうでもない。

そんな状態でした。

 

これまでの記事やツイッターでの発信に共感を頂き、個別にやり取りをさせて頂いている方がいらっしゃる中で、こうした気分の波があるのは、非常に申し訳なく感じます。

というのも、波がひどい時には、自分の言葉、考えていることなどに対し、一切の自身も喜びもなくなってしまい、自暴自棄というか、「どうせ自分なんて・・・」という考えに陥ってしまうためです。

せっかく、支えて温かい言葉をかけてくださる方もいるにも関わらず、「僕の考えていることなんて、大したことない」「どうせ相手にされない」と考えてしまうのです。

 

「根拠のない自信」というものについて、人それぞれに考え方が違ってくるとは思いますが、

僕が思っている「自信」とは、その人がどんな経験をしてきたか、ということに関係なく、「持つことができるもの」だと思っています。

それはつまり、

何も知らない、何も経験していない、何も分からない

そんな状態でも、「そこにいて、暮らしていい」という意味合いです。

ですから、「自信」というよりは「存在意義」に近いかなと思います。

 

「死んでしまいたい」「消えてしまったほうがいい」と一度でも考えてしまい、更にその波が度々襲ってくることは、非常に恐ろしいことです。

そんな波を少しは軽くしていけないかな、と考えた時に、

「安心して生活してもいい」という自分への許可、自分を認める、受け入れてあげる。

そんな時には、本来ならば周囲にヘルプを出すのが良いと思います。

そして、そんなヘルプを受けた周囲は

「大丈夫だからね、あれこれできなくても、全く責めないよ。だからゆっくり安心して休んでね」

という声をかけてあげたらどうだろうか。

そして、そんな声かけを常に受けていたら・・・

そんな声を常に聞いていたら、人によっては「甘えすぎて、余計に何もしなくなる!」と言うかもしれません。

でも、実際に「死の衝動」を体験していくと、そのような「安心して休んでも良い」という周りの環境があるのと、ないのとでは全然違うことが予想できます。

 

「安心して休んで良い」環境を作っていくことが、周囲の人がやるべきことなのだろうなと思います。回復や復職の心配、もちろん、金銭的な心配はとても大きなものです。

ですが、「そのままの何もできない状態で、生活しても良いんだ」と心から思えたら、きっと回復も早くなると思うのです。

 

「安心して過ごしても大丈夫なんだ」という気持ちを手に入れたら、自然と「明日はちょっと求人を見てみようかな」といった行動ができるように思えます。

 

あと、大切なのは「うまくいかなくたって大丈夫」という気持ち。

やはり復職や転職をする際にも、「次は失敗できない」という思いに捕らわれてしまうと思います。

そんな時も、「安心して生きていて良い」という土台があれば、仮に失敗したとしても、「ま、いっか、どうせ大丈夫だし」を思えるだろうし、むしろそんな気持ちで取り組んでいた方が、結果が良くなると思います。

 

もっとも、「消えてしまいたい」という気持ちが芽生えてしまうところで、相当な問題が絡んできていることだと思います。

そんな時に、「そのままでいても良いんだよ」と言われたところで、そんなこと思えないから死にたいんだよ。

ということになるでしょう。

 

では、そんな風に色々な問題が重なってしまった状態をどうやったら楽にできるのだろうか。

人それぞれに違うことではありますが、やはり過去に振り返る必要があるなと思います。

もちろん、過去は過去、変わりません。ですが、過去の出来事に対する「今の気持ち」は「書き換える」ことはできませんが、「別の気持ちを付け加える」ことはできると思います。

 

例えば、僕は過去に小学生のころ、「暗い、面白くない、気持ち悪い」と面と向かって言われたことから、人が離れていく度に「やっぱり僕は・・・」とか「どうせ僕だからなんだろ・・・」みたいに思っていた。

なので、今でも、人が離れていってしまうと、やはりそういう気持ちに支配されてしまいます。

そんな時、過去の僕は常々「やっぱり僕は暗いからダメなんだ」で終わっていた。

 

それでも、今、このブログやツイートの発信を通したことや、様々な人と出会ったことを振り返ってみると、「そんなに暗くはないでしょ」

とか、「そんなに気持ち悪い人間じゃないよな」って思い直すきっかけを作ることができたことに気づきます。

ですから、過去の僕の気持ち「やっぱり僕は暗いからダメなんだ」に「それはほんの一部分しか見てなかったからでしょ、本当はそんなに暗くない」という気持ちを追加するのです。

 

今でも、そんな作業をしながら生きている。

 

過去の周りからの声にビクビクして怖くて仕方なかった自分を、今の自分が、声をかけにいくような感じ。

「そっか、怖かったよな。でも、あいつら、君の全部を知ってるわけじゃない。そんな一部分だけで判断されるなんて、つらいよな。

そんなに暗くないんだよ。それに、世の中には、そんな君を見て、居心地が良いって感じる人がいるんだよ」

みたいな感じで、過去の僕に、ソッと声をかけにいく。

どれだけ無意味な批判、意見、周りの感情に振り回されて生きていたか。

 

投げ出したくなることもあります。そんなことをして、今の自分のどこに意味があるのだろうって。

そして、今の自分は今の自分で、人の気持ちにビクビクしてしまう。

 

それでも、何度ぶっ倒れそうに落ち込んでも、僕は、僕の言葉が心地いいと思ってくれる人がいることを知っているし、そんな関係を信じたい。

だからこそ、些細なことに振り回されてしまう自分を見つめ、少しずつ振り回されることなく、それでも大丈夫だという土台を作っていく。

 

「安心感をテーマとした会」は、そんな土台を作る場所だと考えています。

一人ではなかなか難しいところは多いと思う。

特に、周囲の声かけが「安心させてくれるものではなかった」場合。

それには、やはり他者による、新しい声かけが必要だと思います。

「存在を肯定し、信頼する言葉」

そういった声かけをすることで、過去の自分に、新しい声かけをしてあげる。

 

怖い時は怖がっていいし、痛い時は痛がっていい。悲しい時は泣いてもいい。

何かを無理して抑えてきた、抑えられてきたから、今、苦しいのだと思います。

 

失敗したって大丈夫。

嫌われたって大丈夫。

離れていってしまう人は、何をやってもいつかは離れていく。

でも、離れない人は、どんな時でも、見守ってくれている。

だから自分を信じて、たくさんの出会いを信じて、人を信じていく。

 

長くなってしまいました。

一緒に、肯定し合う作業をしていきませんか。

今夜は冷え込むみたいですね。

暖かくして、おやすみなさい。

読んで頂き、ありがとうございました。