長くなってしまいました~
こんばんは。
僕は現在、病状としてはある程度、安定していると思います。
薬はかなり減りましたし、とりあえず主治医からも、フルタイムでの仕事が可能だと言われています。
1日中、寝込んでしまうということはありませんし、人と話すこともそれほど苦しいとは感じません。
また、様々な会社に面接に行くと、たいてい
「とてもそんな風には見えない」「むしろ、とても客観的に自分を見ることができていて良い」とか、
また、精神疾患のことであったり、離婚経験のことを話すことで、素直で誠実という印象を与えるようです。
活字も読めるし、昼寝をしなくても活動していられます。
どうしてこういうことを書いているかと言いますと、精神疾患による服薬期間が10年以上になっており、その間に転院による診断の修正、薬の見直し、が何度もあり、
また、退職、離婚などのイベントが重なりに重なってしまっております。
そのため、一体、何が病気なのか、どういう部分が病的なのか、が自分で分からなくなってしまったためです。
(あくまで、本当におそらくです、僕がこれまで患者として過ごしてきた経験から考えての判断です)
おそらく、診断名としては「自律神経失調症」が妥当なのかと思います。
「うつ病」と診断はされてはおりますが、上述のように、そこまでひどくボロボロという状態からは、だいぶマシになってきているのかなと思っています。
もちろん、度々、ブログでも触れていますが、「消えてしまった方が良い」という極論に気持ちがいってしまうことを考えると、全然油断はできないと思っています。
僕が一番悩んでいたものは、仕事に就いても、出勤途中に絶望感に襲われてしまうことです。
これも色々な要素が絡んでいると思います。
最初の会社にて、お局さんから嫌がらせを受けていた時は、そのような症状は出ませんでした。
だからといって、それが原因ではないかというと、そうではなく。
これまでの積もり積もったものが、もう限界を迎えて、最初の
出勤途中の「あ、もうダメだ」になってしまったのです。
それを紐解いていくと、前妻との関係であったり、また両親との関係に行きつくのだろうと思います。
つまり、嫌がらせをされながらも仕事に行き、自分の気持ちを無視されながらも前妻と付き合い、結婚し、仕事でも発破をかけられ、家庭でも発破をかけられ
そんな生活を送っていたら、そりゃ壊れるよなって思うのです。
根源が、親子関係にある、という断定はしませんが、あらゆる物事の判断の基準となるものは、両親との関わりの中で作られていきます。
僕がHSPであるかどうかは分かりませんが(DOES)全てが当てはまるのでそうなのでしょう。
そうなると、生まれ持って人の感情に敏感に反応し、顔色を伺う素質を持っている僕が、「比較的厳しめな言葉」を言う親の元に生まれ、母親はなぜだかいつも機嫌が悪い。
まさしく、「こんなんじゃいけない!」って思う環境で成長してきた。
その前提で学校での人間関係や、社会での人間関係は、非常に苦しいものになるのは当然なのです。
「こんなんじゃいけない!」という環境でなかったら、全然違ったことになっていたでしょう。
でも、僕のこれまでの生きてきた道を振り返ると、この道しかなかったんだなって思うんです。
この道が僕の道だなって。
ですから、この道を通して、僕が何をする必要があるのか、何を考え、行動していくのか。
冒頭で、僕の病状について触れましたが、HSPのことについて知ることになったことも大きな変化のきっかけなのかなと思います。
また、それを踏まえて過去を振り返った時、「あ~、やっぱり苦しかったんだ」って、過去の僕に言ってあげることで、これまでの道を認めていく。
診断名にこだわる必要が、もうなくなってしまった気がするんです。
また、HSPについても。
同じHSPの気質を持って生まれてきた人でも、その人に合った家庭環境、周囲の環境があれば、「生きづらさ」を感じる必要はないと思います。
僕にとっては、様々な環境によって、当然のように「生きづらさ」を感じた。
そんな僕にも、なすべきことがある。実現されることを待っている。
それが何か、自分の人生からの問いに、どう答えていくかを悩み考える。
いつの間にか、フランクルの言葉になってしまいました。
あ、そうそう
全然別の話になるのですが、ふと思いついたので
「亡くなったおじいさんは、それを望んでいるの?」
というような言葉ですが、よく、刑事もののドラマで犯罪者に対して投げかける言葉です。
僕は、何度も言われたことがあります。
この言葉も、見方を変えれば、自分の思い通りに相手を動かそうとしていることですよね。
不謹慎な言い方かもしれませんが、ある種の言葉の暴力な気がします。
僕の祖母は、とにかく僕に笑顔が戻ってくれることだけを願っていた。
現妻との関係によって体調が悪化した時も、「別れたっていい、とにかく元気になって、それから子供のこと考えな」と言ってくれていた。
その祖母を持ち出し、現妻は僕との離婚の際に「亡くなったおばあちゃんはどう思うのかな?」なんて言ってきた(妻は離婚なんてとんでもない、という意味で言っている)
そんな経験があったので、どうも「〇〇〇は、今のあなたを見て、どう思う?」のような言葉は、ある種の誘導のように感じてしまうのです。
もちろん、それでハッとさせられる場面も多くあると思います。
僕は、まだそんな経験がないというだけです。
さて、何だかまとまりのない記事になってしまいました。
さしあたり、僕は未来を悲観していません。
かと言って「あとは這い上がるだけだからね!!」みたいなことも思いません。
精神疾患を抱える方ならお分かりでしょうが、
「どん底を経験したんだから、あとは上がっていくだけだよ!」と励ましを受けても、その通りだとは思えません。
本当は思いたいんです。あとは上がっていくばかりであって欲しい。
ですが、現実は、どん底を経験しても、また更に深いどん底に落ちたり、ようやく少し上がったかと思えば、また最深部に落とされたりするのです。
僕もそのようなことを経験している一人なわけですが、そんな波を今すぐに無くすことはできません。そして、波が弱くなっていくのか、それともスパンが長くなっていくのか、変わらないのか、それすら分かりません。
ですから、もうそれはそれで良いじゃないか、って思うんです。
なぜなら、僕の人生からしたら、今、この波がある状態の僕でなければいけないわけです。そんな状態だからこそ、見えるものがあるし、できることがあると思うのです。
苦しい時は苦しいです、寂しいです。そんな時に、周りを見渡したり、考えを巡らせてみると、苦しみが軽い時や、これまででは考えもしなかった景色が見えるはず。
そこで僕は何ができるだろう、誰が僕を待っているのだろう。
って、常に悩みながら、生きていくことが、充実した生き方になるのではないかと考えています。
おそらく、こんな話を両親にしたところで、「考えすぎ」の一言で終わるでしょう。
それで良いのです。
だって、この道は僕だけの道なのだから。
そして、この先、この道の途中であなたと交わるかもしれない。交わらないかもしれない。
それでも決して悲観をする必要なんてない。僕はこの道しか進めないのだから。