あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

9月も後半、そして思っていること

こんばんは。

先日、あっという間に9月だーという記事を書いたのですが、あれからもう2週間も経ち、(経ってしまい)9月も後半になっていました。

 

未だに激落ちはあります。定期的にと言えるのか不定期なのか、そこのところが微妙ですが、やはり2週間に1度、または10日に1度、自分の存在が無意味に思えてしまい、全てがどうでも良くなるという症状に襲われます。

「それくらい誰だってあるよー」という言葉はとても分かります、そりゃそうでしょう。

でも、その「誰だってある」というのは、「日常生活に支障が出てますか?」

僕が落ち込んでしまう時、日常生活ができなくなります。

その回復のために1週間くらい必要です。

ですから、落ちてしまってから3日くらいはほぼ寝たきり(食事やトイレは何とかできます)5日目くらいから、ようやく今のようにネットを使う気になってくる。

日頃の発信は主に(主にっていうか、全部ですが)、ツイッターで行っています。

落ちて寝たきりの状態の時は、ツイッターすら開く気力がありません。

そんな時、僕はひたすら眠ります。

起きていても、動けない体のまま仕事のことやお金のことを考えなければならないのは非常に苦痛です。

誰かを想いうかべても、あまりにも現実味がなさすぎて、「とてもじゃないが、こんな状態ではダメだ」と思う。

 

眠るといっても、僕は睡眠薬がなければ眠れない体です。

ですから、朝起きて、また睡眠薬を飲んで寝る。昼になって起きても、しんどかったらもう1度睡眠薬を飲んで寝る。

それを繰り返します。

無気力なわけですから、そしてそれは病気の症状ですから、受け入れるしかありません。

「いやいや、そんなはずはない!」と言いたい気持ちは分かりますが、

それは事実で、逃げることができない症状なのです。

今は資格取得のためのスクールに通っており、スクールのない日にはリハビリ勤務という予定です。

ですが、無気力な状態ですと、仕事どころではありません。

スクールについては、2回まで欠席が認められているのですが、今後は慎重に見極めて何とか休まないようにしないとな、というところです。

 

僕はこの精神疾患と、もう15年くらいの付き合いになりますが、ずっと同じ症状というわけではありませんでした。

年々変わっていく症状、また環境が変わると症状も変わってきます。

好きで病気になったわけではない。

最初から病気になることが予想されていたなら、僕はその道は通らなかったでしょう。

 

僕はずっと考えていることがあるんです。

精神疾患においては、どうして犯人捜しをしようとしたり、本人の性格や人となり、本人の考え方が原因である」という解釈をしがちなのだろう。

 

それこそ、「気合が足りない」とか「甘えている」「叱られたことがなく、甘く育っている」「頑張りが足りない」「考え方がゆがんでいる」「自立していない」「半人前」挙げたらキリがないほどです。

それらは、実際に僕が色々な人から言われてきた言葉なのですが、

「患者自体が変わらなければ、何も変わらない」という考え方をしている人がとても多いのです。

この点に関しては、専門家でも意見が色々とあるかと思います。

ですが、患者「だけが」変わらなければならないのか?

 

今、僕は資格取得のために高齢者介護について勉強をしていたり、知的障害をお持ちの方の生活支援という仕事をしていく中で、

「患者さん本人を含め、それを取り囲む環境全体が変わっていくことが大切」

という考え方が必要だなって思うのです。

 

誰かが悪いわけじゃない。

逆を言えば、みんな悪い。

これは、僕がこれまで15年間、精神疾患の原因は「僕自身の中」にあるとずっと思ってきた結果出てきた答えです。

無気力で寝たきり状態の時に、「誰が悪い」とか「家賃の支払いがどうの」とか、「仕事はどうするの?」とか、

もうそんなことはどうでも良いくらいに無気力なのです。

 

そこで、「本人の考え方がおかしい」「本人にやる気がない」という指摘をしたところで、何も生まれない。

 

もちろん、僕が治していこう、不調とうまく付き合えるようになっていこう。

という気持ちはとても大切です。

ですが、そんな気持ちすらどうでもよく思えるほど、「無気力症状」は強烈なのです。

また、主治医とも相談はしているのですが、

落ち込んで寝たきり状態を経た5日目くらいのやや回復期、少し動けて笑えるようになってきた時

これくらいが一番危険だと思うのです。

何が危険かというと、自〇の危険です。

そのような危険が僕の場合は月に2~3回訪れるという感じです。

いわゆる衝動性です。

酒を飲んで、酔った勢いでビルから・・・、とか実際に僕も考えてしまいます。

また、手順や場所を探してみたり。

こういった症状を抱える中で、「本人が一番苦しい」と考えられることが、僕が過ごしてきた環境にはありませんでした。

結局は、僕の症状の浮き沈みによって、振り回される家族が一番つらい、という接し方をされます。

 

言ってみれば、「あなたはこれだけ私たちを振り回してきたんだから、反省しな!これからは心入れ替えてがんばりな」ということです。

そんな環境を15年も経験していると、僕自身も自分だけが原因なんだ、自分が欠陥製品なんだと信じ込んでしまいます。

 

でも、それは絶対に違います。

環境全体が変わらなければ、何も変わりません。

今、僕はそういったなかなか環境が変わらない人に対し、受け入れるような場所、環境が作れないかと考えています。

それも、今やっている仕事の延長で考えています。

ゆっくりですが、無理せず生きていこう。

焦ることが一番危険ですが、どうしても焦るし、どうしても不安です。

そんな不安を払しょくするためにも、障害年金生活保護を利用するのはとても有効だと思います。

一緒に生きやすい環境を作っていきましょう。

 

長くなってしまいました。すみません。

読んでくださった方、ありがとうございました!