あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

これまでの呪縛

こんばんは。

今日は金曜日。

6月に入ったと思ったらもう後半に入りましたね。

時折、ガクンと体調や気力が落ちてしまうことがあるためか、この6月を19日も過ごした気がしません。

まだ10日程しか経っていないかのような感覚です。

無気力な状態で1週間くらい何もできない週があったから、その期間は記憶に残っていない(残していたくない)ようです。

 

さて、最近、リハビリ勤務をしていて思うことがあります。

 

「あれ?職場って、怖い場所じゃなかったっけ?」

「職場の先輩や上司に当たる人って、怖いもんじゃなかったっけ?」

 

ということです。

これは正直、答えとしては

「その職場による!」

ということだったと僕は思っていました。

 

つまりは、「怖い人がいる職場もあれば、怖い雰囲気の職場もある」ということなのですが、

これまでの僕を振り返ってみると、その「怖がり方」が異常だったんだなと思うのです。

そして、その「怖さ」が僕の精神疾患を生み出した大きな原因です。

 

「職場が怖い」「上司が怖い」という気持ちって、いったい誰が主語なんだろう。

↑の文章だけを見ると、主語は「職場」や「上司」ですが、本当のところ、

「僕は」職場を怖く思っている。

「僕は」上司を怖い人だと思っている。

ということになると思います。

ですから、主語は「僕」です。

ということは、怖いと思うか思わないかというのは、職場や上司が決めることではなく、僕が決めることなのです。

 

僕は長い間、そしてつい最近までずっっっっとこの部分の思考回路がおかしくなっていました。

つまり、本当は「僕」が主語であるはずなのに、完全に「職場」や「上司」に置き換わっていたのです。

そして僕は職場や上司だけでなく、「誰に対しても」「何に対しても」ビクビクしてしまうようになりました。

家族も怖い、元妻も怖い、友人も怖い、社会も怖い

 

でも、今のリハビリ勤務先の人たちが、僕に気づかせてくれました。

「本当はそうじゃないんだよ」って。

もちろん、直接そう言われたというわけではないのですが、態度や言葉で、教えてくれたんです。

 

「もう怖がらなくっても良いんだよ」って。

 

こんな年齢になるまで、周りが怖くて仕方なかった。

そしてそれを誰にも言えなかった。

または、言っても「気のせい」「気にしすぎ」だけで終わってしまった。

これだけの年数、怖がって生きていると、修正していくのは本当に苦しい。

だから、何度も無気力になって失敗を繰り返してしまった。

それでも、今の職場は何とかして僕を活かそうとしてくれてきた。

それに、今後の話についても前向きに考えてくれている。

 

だから、僕はもう怖がる必要はないんだろうなって思うのです。

いや、もともと怖がる必要なんてなかった、ということです。

ただ、小さい頃から人の様子の変化や、人の言動に敏感だったこともあり、

一度怖いと思ってしまうと、その人やそのもの全てが怖くなってしまった。

そういった生まれ持った特性も絡まってしまい、なかなか抜け出すことができなかった。

 

でも、今まで存在しなかった、

「もう怖がらなくても良いんだよ」

という考え方が生まれたことで、物の見方が大きく変わるんじゃないかと思うのです。

 

客観的に見れば、「何も変化はありません」

ただ、僕の「心が」変わっていくことによる変化は大きいと思います。

 

父親も母親も、兄も全て怖かった・・・。

その呪縛が解かれるのは、一番最後かもしれない。

その前に、僕が「怖がらなくても安心していられる場所」を見つける必要があります。

それが、今の職場にあれば良いなと思うのです。

または、今の職場にて作っていけたら良いなと思う。

 

まだまだこれから、今度は「僕が」主語になって生きていこう。