英語を使って自分を眺めてみる
こんばんは。
Alan Walkerの「Beyond」という曲です。
beyondという単語は、結構好きです。
「~を越えて」「~の向こうに」という訳です。
Alan Walker - Beyond (New Song 2020) ✓
越えた先に何があるのか、向こう側には何があるのか。
または、越える前の目の前には何があるのか。
色々な想像ができる単語です。
もちろん、「それは人それぞれ」ということになります。
「越える」ものが、「明日の仕事」なのか、「明日からの連勤」なのか、「今、目の前にある鬱」、「今、抱いている死にたい気持ち」なのか
色々とあります。
僕の現状としては、土日の副業の勤務を乗り越えたところで、ようやくの休暇という状態です。
ですから、今のところ「~を越えて」という表現に当たるものはありません。
(あくまで、今日は!、今この瞬間は!、という話ですよ)
これが、金曜日の夕方頃になると、「土日の連勤を越えた」先の「休暇」を遠くに臨むわけです。
さて、beyondの話をしたいというわけではありません。
それに、英語の理解力もだいぶ落ちました。少し余裕ができたら趣味程度にもう一度勉強をしていこうかなって思います。
何が面白いかって、「英語独特のニュアンスが面白い」のです。
例えば、
あるAさんが、ドアを開けようとしている時、Bさんが同時にそのドアに向かう状況、
Bさんは、ドアを開けたまま手で抑え、Aさんを先に中に入れた。
この時、Aさんが、「Thank you!」とお礼を言うとします。
すると、Bさんは、「どういたしまして」のような内容の言葉を返します。
この、「どういたしまして」に当たる文章がたくさんあるのです。
「You're welcome」だったり、「That's OK」だったり、「No problem」だったり
中でも僕が一番好きな言葉は
「It's my pleasure」です。
学校で習う段階では、あくまでも「どういたしまして」と訳される。
しかし、何で「my pleasure」なんだろう?と考えます。
人を助けることが「my pleasure」なのかな?「ありがとう」を言われることが「my pleasure」なのかな?
譲り合いというか、相手を尊重する行動。
「ありがとう」と言ってくれた相手に対しても、尊重し、敬意を払った言い方なのだろうなって思うのです。
高校生の頃にこの「my pleasure」という言い方に出会い、そこからずっと好きな言葉。
ちなみに、「my pleasure」とは「私の喜び」という意味です。
人を助けたり、支えたりした時、「してあげたのに!」「やってあげてるんだ!」という姿勢をとる人はいます。
それって、きっと主語が自分ではないんだろうな。
「あなたのために、やってあげた」ということは、文章的には、主語は「私」ではありますが、深く探っていくと、「あなたが望んでいるだろうから」という観点が見つかります。
「あなたが望んでいるだろうから、「私は」、やってあげたんだよ!」ということです。
この場合、「私は」本心から「望んで」行動しているのではなくなってしまいます。
そうすると、発生するのは「不満」「怒り」「憎しみ」「恨み」「悲しみ」です。
全ての言動の主語が、「自分」であると、
「あなたが望んでいるかどうかに関わらず、「私がそうしたいから」やりますよ」
ということになります。
僕は、常にそういう視点で考えていきたいな。
笑顔で「my pleasure」と言って去っていく人、何だかかっこよくないですか?
ゆっくりと生きていく、そんな中でも主語は「自分」
うーん、beyondの話をするつもりじゃないとは言いましたが、結局、英語に関連づけた内容の記事になってしまいました。
なぜこうなったか?それは書く前に内容を決めているのではなく、書きながら内容を決めているからです。
なぜなら、僕がその方がやりやすいし、楽しいからです。
あなたの主語、「自分」ですか?
もしかしたら、多言語を経由して考えてみると、凝り固まった自分の視点が変わるかもしれません。
人と人が関わる以上、そこに色々な感情が生まれることは仕方のないことです。
望んでいなくても、ネガティブな感情が生まれることは多々あります。
それでも、そんな社会だからこそ、「my pleasure」とはっきりと言える姿勢でいたいものですね。
今日もお疲れ様でした。
また、明日ね
読んでくださり、ありがとうございました。
おやすみなさい。