やらなきゃいけないこと
こんにちは。
久しぶりにお昼の記事を書きます。
これは、昔から僕の周りがそういう考え方をしていたもので、僕自身も「そうなのかなぁ・・・、やっぱりそうなのかなぁ」って思っていたことです。
最初の妻と、元妻も、同じように考えていました。
ですから、余計に僕は「自分はやっぱりおかしいのかな?」と思ってしまうことでした。
それは、「やらなきゃいけない」発想です。
母親は昔から「こんなんじゃいけない」「あれしなきゃ」「これしなきゃ」ばかり言っていました。
子供に対してとなると、「やらせなきゃ」「やらなきゃダメ」という感じです。
今だからこそ思うのですが、「やらなきゃいけない」と思ってしまうと、ものすごく苦しくないでしょうか。
特に精神疾患にかかってから、周囲と僕との意識の差がものすごく大きいと感じるようになりました。
仕事において、やらなければならないことがある、という意識は理解できます。
しかし、それも強すぎると心がどんどん疲れてしまいます。
周りから突っつかれながら仕事をしていたら、本当に生きた心地がしません。
でも、仕事だからある程度は仕方ない。
しかし家に帰っても、そんな風ですと、僕は非常に苦しいです。
ご飯の準備、掃除、洗濯、買い物、色々とこなすことはあります。
うーん、何ていうのかな、「やらなきゃいけない」ことに支配されすぎている気がするのです。
「いや、別に今じゃなくていいか」とか「別にやらなくてもいいか」
ということだって、必ずあるはずだと思います。
元妻は、特に「やらなくちゃ」意識が強かった。
やらなくちゃって言っている割には、寝坊していたり、別のことをしていたりする。
そして、自分の「やらなくちゃ」も思いながら、僕に対して「やらせなきゃ」という意識を持っていました。
僕は基本的に、行動はゆっくりです。ですが、料理も掃除もそれなりにこなします。
しかし、元妻は、僕の行動を見ながら、「とろい!」「もっと頭使ってやらないと!」のように、指示を出してくるわけです。
おそらく、旦那さん、奥さんとの家事分担での不満なども、こういった意識の違いに集約されてくるような気がします。
「自分が思った通りに、人を動かそう」なんて、絶対に無理なのです。
しかし、どういうわけか、それができる。いや、そうしなきゃいけないって考えてしまうわけです。
元妻との生活を通して感じたことなのですが、「やらなきゃいけない!」って言っていることの半分くらいは、「やってもやらなくても一緒」だと思うのです。
特に家庭でのことであれば、「やらなくちゃ!」という意識で疲れながらやるよりも、「あー、これはやってみたいね!」っていうことを探して、1つこなした方が充実するに決まっています。
そんな会話が自然と流れていれば、仮に1つ「やらなきゃ!」っていうことがあったとしても、お互いにすんなりと、「あー、そうだね、やらないとね」ってなるのではないでしょうか。
毎日毎日、「やらなきゃ」「やらせなきゃ!」に縛られ、やること全てを監視され、ダメ出しされまくっていたら、やる気なんてなくなりますよね。
もちろん、そのようなことは何度も何度も元妻と話はしましたが、全く意味がありませんでした。
振り返って、今でも「ゾッ」とするのです。
あのころの生活、毎日、仕事から帰るとビクビクしていなければならなかった。常に元妻の機嫌を伺い、休日が怖くて仕方なかったあの頃。
そして今は、母親の「あー、こんなことしてちゃいけない!」みたいな言葉。
そんな考え方をして、疲れてしまわないのでしょうか。
もう、マヒしてるのでしょうね。
「やらなきゃいけない!」
それって、本当にやらなきゃいけませんか?または、今じゃなければいけませんか?
もちろん、今じゃなければ、という考え方については、色々な考えがあると思います。
いつ何が起こるか分からないから、今やらないと。と考えるのも、最もだと思います。
ですが、いつ何が起こるか分からないから、「やらなきゃ」に縛られず、「やりたいこと」を優先したらどうでしょうか。
「やらなきゃいけないこと」を「やりたい」ならば良いことだと思います。
「イヤイヤやらなければいけない」ならば、別の方向を探すものアリなのかなって思うのです。
そして、「ふと」を大切にしたいかな。
「ふと」思ったらやってみる、行ってみる。
「ふと」思い立ったから、メールしてみた、っていうこと、僕はよくあります。
それが良いか悪いかは分かりません。
それでも、自分の「ふと」を大切にしたいと思います。
「ふと」思いをはせることって、僕は好きだな。
何だか「やらなきゃいけない」と少し違った話になってしまいましたね。
「やらなくちゃ」が蔓延している社会だからこそ、「ふと」を意識して生きてみると良いのかもしれません。
多分、僕はそうやって生きていくと思います。