無感情・無感動
こんばんは。
久しぶりの更新です。
えっと、先日、1件面接を受け、手ごたえとしては良かったと思っております。
それで、「いや~面接疲れたなぁ」ってことを思って過ごしていたのですが、11月末日にかけて、リアルな方面でのやや大き目なことがありました。
トラブルとか、問題があったというわけではなく、簡単に言ってしまえば、同窓会への参加についての「参加する・しない」という決断をする必要が出てきたのです。
結局のところ、参加はしなかった(できなかった)わけです。
以前に記事でも触れた幼馴染も出席するものだったわけですが、僕は面接の疲れっていうこともあり、
それに、こんなにも仕事が決まらないことへの虚しさ、「いつまで、こんな状態なのだろうか」という自分自身への自信のなさ
男ばかりの会で、全員が僕の状態について、ある程度の理解はあるわけですが、どうしても僕は彼らの前に出ることに強い抵抗を感じてしまいました。
どれだけ理解をしてもらえている、と言っても、「劣等感」にさいなまれている時は、必要以上に「ビクビク」してしまうものです。
笑い話で済ませることができそうな話題でも、笑えなかったりするものです。
そこにプラスして、ツイッター上での言葉に「勝手に傷ついた」ということもあったため、
結果的に「無感情・無感動」な状態となってしまったのです。
多くの方に声をかけて頂いたことに、物凄く感謝しております。
それから、お一人ずつにお礼を言って回ることができずに、すみません。
ツイッターをやっていると、特に僕と繋がって下さっている方々は、日々、様々な悩みを抱えており、とても苦しい環境にいらっしゃる方もたくさんです。
「今日でツイッターを辞めます」とか、「しばらく離れます」
といったツイートを、度々目にするわけです。
また、もっと言えば、「もう死にます」といったことも書かれてあったり。
それぞれに原因があるものですが、「何気ない一言」が大きな事件を引き起こしてしまうこともある。
それは、ツイッターに限らず、日常生活の色々な場面で起こり得ることです。
「そんなつもりじゃない」
そう理解できたところで、その言葉を目にした瞬間の感情を忘れることはできません。
また、文字数も限られている中、「どのような言葉を使うのか」は重要だと思う。
面と向かってトラブルとなってしまうのも悲しいわけですが、顔が見えない状態での誤解、感情の暴走、憎しみ、妬み、怒り、なんかはとても心苦しい。
そのようなことを無くすことはできないと思います。
「顔は見えないけれど、向こう側には人がいる」
それも理解できていたとしても、トラブルが起きる時は起きてしまう。
リアルでの生活で疲れている上で、SNS上でも疲れてしまうと、とてもしんどいなぁって思います。
だったらSNSなんて使うなよ、とも言われそうですが、平和的な使い方ができたらなぁってずっと考えております。
使い方によっては大きな支えになるものです。
それこそ、HSPの交流会の案内や、お茶会の案内が流れてくるわけなので、出会いこそツイッターというSNSではあるものの、リアルな日常生活に、良い影響を与えていけるものだと思っております。
僕の状況を見て、もどかしく思う方もいらっしゃると思います。
それでも、生きて社会復帰を実現していきたいと思っております。
ツイッターでもそうですが、会社の机、学校の机
「自由に好きなことを書けてしまう」ものです。
書いて良いのか、それは書く人に委ねられる。
心が弱っている時は、避けた方が良いものなのかもしれない。
そんなことを考えた期間でした。
無感情・無感動からは、少しは戻ってきました。
その状態のままでは、やっぱりいられないものです。
さて、何を書いているのかよく分からない記事になってしまいました。
僕が目にして傷ついた言葉を書いた方も、それなりに思うところがあって書いたことだと思っております。
12月に入ったこともあり、同窓会のこともあり、ツイッターのこともあり、面接の疲れもあり、色々なことが重なってしまった結果、
「ちょっとヤバいな」っていう心境になった、
ということでした。
それでも、やはり僕は発信することや共感することが、良い影響を与えるものだと思うので、良い影響を共有し合えたらいいなと思います。
12月、今年もあと1か月、引き続き、よろしくお願い致します。