あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

言葉の重さ

こんばんは。

今日は5月6日水曜日ですね。振替休日ということで、ゴールデンウィークが今日で終わり、という方は多いのではないでしょうか。

僕がリハビリ勤務をしている施設は連休などはありませんので、僕は予定通り、週3日のリハビリをしております。

土日は休みなんですがね。

 

さて、以前から土日だけ勤務ができる副業を探しておりました。

3月に1度見つかったのですが、コロナ関連の色々とありまして、1か月で仕事がなくなってしまいました。

それ以降、土日のみ、副業OKという職場を探しておりました。

今日、1件面接+見学に行ったのですが、その場で採用をして頂けることとなりました。

初出勤は来週の火曜日です。

リハビリ勤務がない日は、平日も1日くらい入れようかと思っています。

仕事内容ですが、住居型老人ホームの調理場担当です。

で、時間は基本的に朝のみ。

朝の4時間程度の勤務です。

それならば、体にも無理がなく続けていけるのではないかなと思って、そうしました。

 

何よりも、本業のリハビリ勤務の方への悪影響があってはまずいので、そこは慎重に進めていきたいと思っています。

本業への影響の有無のことも考え、土日も朝のみ、という時間を選択しました。

また、通勤が徒歩で行ける場所ですので、非常に楽です。

特に朝の勤務なので、車を使って渋滞してヤキモキするのもイヤですしね。

徒歩で行けるなら、余裕を持って準備ができそうです。

また、調理のレベルも比較的簡単な作業のようで、初心者でも大丈夫だよ、とおっしゃって下さいました。

 

さて、今日はこんな感じの1日を過ごしたわけですが、

言葉って、すごく大切ですし、力を持ちますよね。

ですが、力のない言葉は本当に何の力も感じませんし、薄っぺらいなと思ってしまいます。

僕は言霊ってのは本当にあると思っていますし、文字を見た瞬間に映像が浮かび上がる、ということもあり得ることだと思っています。

もちろん、僕がそんな能力があるかどうか、と言えば「ない」わけです。

ですが、受け取る側がしっかりと受け止めてくれることは多々あります。

ですから、言葉をしっかりと選んで、ごまかさずにストレートな表現ってのが良いのかなと思います。

 

ツイッターという文字だけのやり取りを通し、ある意味、続けていくコツみたいなのが分かってきました。

それは、やっぱり相手は人であるということを忘れないこと。

文字の向こう側には人がいて、その人はその人の背景があり、歴史があり、考え方がある。

今、見えているこの文字は、あくまでも「たまたま」その時に出てきた言葉であり、それがその人の全てではない、ということ。

 

僕がツイッターを始めて半年くらい、いや、もうちょっとかな。

結構長い間、「相手にどう思われているか?」ということで思い悩むことが多かったです。

また、たまに(頻繁に?)質問箱に送られてくる、心無い投稿を目にすると、とてつもなく無力感に襲われたりしました。

そういう状態というのは、「自分の評価」が全て「相手」に依存してしまっているために、不安に思ったり、恐怖に感じたりするのです。

先程も言いました。

文字の向こう側には人がいる。そして複数いらっしゃれば、それぞれの考え方がある。

たった1つの投稿が、非常に重苦しくのしかかってくる場合はありますが、

だからと言って、「その評価=僕の全て」ではありません。

 

評価をするのは相手ではなく、自分です。

自分が楽しんでいればそれで良いんです。結果的に離れていった方々はたくさんいらっしゃいます。

それはそれで、仕方ないことなんです。

「あいつは胡散臭い!」と誰かが言ったところで、皆がそう思っているなんてことは絶対にありません。

また、たいていの場合(僕、などという本当に1個人に関しては)、批判されたとしても数人程度です。

それ以上に味方あるいは中立、という方が多数いらっしゃる。

その事実を見るに、

「批判をされたから、ツイッターを辞める」というのは、何とももったいない話ですし、そこまで批判を重く感じる必要はないんだよなぁって思うのです。

 

そのため、僕は未だにツイッターを辞めていません。

ブログでの発信も辞めていません。

たかが少数の批判で、変わるはずがないんですよ。

ただ、人によっては物凄いダメージを受ける方もいらっしゃる。

そのような方が弱いとか、劣っているなどと言いたいわけではありません。

ただ、「たまたま」当たり所が悪かったということです。

そういうことも含めて考えると、文字を伝える時、向こう側に人がいるって想像をして発信することが素敵だなと思うし、

知らない内に思いやりのある言葉になっていると思います。

 

だから、今日もそんなことを考えながらツイッターをやっていましたし、今後も変わらないでしょう。

穏やかに優しい社会、と言ったところで、そこを突っつく人間は出てきます。

それは仕方ないことだろうなと思うのです。