あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

境界線を意識してみる

こんにちは。

久しぶりに昼間の更新です。

 

明日は副業、初出勤です。

朝が早いので、今夜は早目に寝ようと思っています。

なので、今の内に記事を書いておこうと思います。

 

さて、今日は「境界線」について書きます。

これは、ツイッターなどのSNSを使っていく上で、大切にしておいた方が良いな、と思っていることですが、

日常生活、仕事での人間関係においても、意識しておくと良いかなと思います。

 

わざわざ意識をしなくても、自然に切り替えられる場合は良いのですが、特にSNSにおいて、自分がツイートやリプライした内容について、「相手がどう感じるか、どう思われるか」が気になってしまうものです。

また、様々な方が利用しているため、時折、心無い言葉をかけられることもあります。

 

批判的なことを言ってくる経験はなくとも、相手に依存しすぎてしまうことによって、「相手の反応が全て」という認識になってしまう。

それによって、自分の発信の良し悪しが、相手(特定の人である場合も、そうでない場合も)の反応に左右される。という事が起きます。

自分が良いな、と思ったことでも、フォロワーさんから「良いね」や「リプ」がもらえなかったら、価値の無いものとなってしまう。

 

「どういう言葉を使えば理解してくれるかなぁ?」くらいに考えるのは良いのですが、それに対する「反応」に必要以上にビクビクしてしまう。

その反応に一喜一憂してしまう、という状態は非常に危険だなと思うのです。

 

まして、顔の見えないSNS、文字だけでのやり取りのみ。

あたかもツイートした内容=その人の全て、というような捉え方をしてしまったり、されてしまったり。

僕もツイッターを利用するようになり、そろそろ1年が経ちますが、半年、いやもっとかな、それなりに長いこと、「人からの反応」に苦しんだ。

ツイートしている内容も、それなりに真剣な内容であり、重たい内容でもあるため、言葉に魂を込めるというか、「一生懸命伝えたい!」という気持ちが先行してしまった。

 

たくさんの方々との出会い、別れがあり、今があるわけですが

そんな今、僕は「人と自分との境界線」を明確にすることを意識しています。

「確かに僕は、〇〇〇〇のような気持ちでツイートした。でも、相手がどう思うかは、相手次第、自分ではどうにもならない」

ということです。

自分の考えに賛同してくれる人がいる一方、「いやいや、違うでしょ」と感じる人もいるはずです。

そんな時、「いやいや~」と考える人が間違っているのか?という視点に立つと、そうとは言えない。

また、ならば自分がおかしいのか?、それも違う。

「僕はこう考えるよ」という意思を表現した時点で、もうそれ以上は怖がっても、不安に思っても、ビクビクしても、

「賛同してくれる人は賛同してくれる」し、「否定してくる人は否定する」

 

やはり、相手にも分かってほしい、伝わってほしい、理解してほしい。という気持ちが強く、

それならまだしも、「理解してくれるはずだ!」とか「賛同してくれるよね?」といった気持ちを持ってしまうと、非常に苦しくなると思う。

 

自分が制御できる範囲と、自分ではどうにもならない部分を明確にしておくことって、とても大切だなって思うのです。

SNS依存症だったり、恋愛依存症だったり、相手が存在することにおいて、もしかしたら、自分と相手の「境界線」がぼんやりしてしまっていることが、苦しみ悩む理由なのかもな、って思います。

 

また、仮に否定されたとしても、「あくまでそのツイートに対して」という程度の認識で良いのではないでしょうか。

人間そのものが否定されたわけではないので、大丈夫だと思う。

ですから、居心地が良いな、と感じる方と、心地よい範囲で繋がっていることが大切なのだろうな。

僕は恋愛感情が絡んでくると、どちらかと言うと周りが見えなくなってしまうタイプでした。

そんな僕にとって、「境界線」の考え方は、SNSを使っていく上で、また更には仕事をしていくにあたって、重要なものだろうなと思うのです。

 

のめり込んだり、依存したり、相手の反応にビクビクしてしまったり、そんな気持ちが痛いくらいに分かります。

「境界線」、相手との間に線を引く、というよりも、自分を守るヴェールをまとう、ようなイメージでしょうか。

人一倍、傷つきやすく、相手の反応に左右されてしまうからこそ、少し、冷静になって振り返ることができる場所が大切なのかもしれません。

 

ゆる~く、できれば長く、繋がっていきましょう。

それでは、今日はこの辺で。

読んでくださり、ありがとうございました。