あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

病院の待合にて

こんばんは。

 

今日は精神科での診察の日でした。

診察の日といっても、予約はありません。

病院は予約制ではありません。早いもの順です。

僕の通っている病院は、非常に幅広い疾患に対応をしていただけます。

とは言っても、非常に奥の深いものです。

アルコール、ギャンブルなどへの依存症が主なところです。

うつ病は、その一部という位置づけなようです。

これまで何度も転院をしてきましたが、今の先生は特別な方です。

 

待合は、とても簡素です。話し声はすべて聞こえてしまうような空間です。

その中で、僕はいろいろな世界を見ました。

ある人は、「昨日、警察とゴタゴタがあって・・・」という

またある人は、「督促状が来てただろ!払っておかないと!」という

「お母さんが払っておいたからね!ちゃんと返してよね!」みたいな家庭の内情も知ることができてしまいます。

 

おそらく、一般的なメンタルクリニックに通っている方が、この病院に来たら、

「え?僕はそんな重症じゃないけど?」

っていう雰囲気です。

 

デイケアというものを実施しています。

アルコール依存です。アルコール依存者向けのデイケア

そこに通う方々も、待合室では会うことになります。

 

待たされる時は3時間くらいは普通です。少なくとも1時間半はかかります。

そして予約制ではない。

なぜ、僕がそこの病院に通っているかと言うと、もう先生の人柄だけです。

これまで何か所か病院を変えてきましたが(転院の理由は離婚に伴う転居がほとんどでしたが)、今の病院の先生ほどに患者目線な方はいなかった。

それこそ、麻薬依存、アルコール依存、DV、もう本当に様々な境遇を対応してくださる先生は、本当に、弱み、痛み、苦しみ、悲しみ、を知っていらっしゃいます。

 

ですから、この病院に通ってもう3年くらい経ちますが、先生の指示、処方、に関しては何の不満もありません。

先生は、時には僕の提案も受け入れてくれます。

この薬を減らして、別の薬を追加しませんか?とか

とても優しい先生です。パソコンはもちろんありますが、必ず話すときは患者の顔を見る。最初にも、最後にも。

 

 

なんですがね・・・

僕は通って3年って言いましたね?他の病院も合わせると、10年を超えます。

そして、待合にいらっしゃる患者さんを見渡しても、見た顔ばかりなのです。

 

どうしてなんだろ。

 

もちろん、僕も含めての話になりますが

どうして、何年も通っているのに、「通院しなくてもいい」という状態にならないのだろう。

 

僕が通っている病院では、様々な依存症を含めた精神疾患を治療しているため、一概には言えません。

ですが、どうして何年も、何十年も通わないといけないのだろうか。

 

僕は患者として、様々な病院にて診断を受けたり、復職支援施設に通ったりとしてきました。

その経験からみて、「なんか、うやむやにしてないかな?」

って思うのです。

例えば僕の場合は、転院する度に診断が変わります

適応障害」「うつ病」「そううつ病」「自律神経失調症」など

それに伴って、処方される薬も変わります

 

それで治る人はいい

 

ある程度休養し、しっかり服薬し、回復するならいい

 

でも、僕が様々な病院を通ってきて思うのですが、長期化している人があまりにも多い気がします。

これは、ずっと思ってきたことでした。

ですが、発信したり、考えを伝えることができる状態になかったために、できませんでした。

そのためのカウンセリングというでしょう。

 

ん?

 

カウンセリングで治るなら、薬はいらなくない?

っていうか、薬、効いてないんだけど・・・

 

そしてそのカウンセリングが保険が効かない、高い高い

続けられるはずないですよね?

その高額なカウンセリングに向けて、事前準備をするわけですよ。

「50分の間に、効率よくテンポよく話して、要点をまとめておかないと」って

 

これは・・・、意味がない。

本当に必要なのは、

 

何の準備もせず、「何を話そうかな」なんて思いながら出てきた言葉。

ふと出た言葉が、何よりも大切なはず。

どうしてそういう言葉を吐き出すことが有料なわけ?

1万も払って、疲れただけっていう経験は僕だけではないはず。

 

しかも、どうして専門家「有資格者」に話さなければ解決しないの?

違うでしょ!

全然違う

資格なんてなくても、その人の心に寄り添うことができれば、傷は癒える。

そう、薬では治せないものがあるんですよ。

 

資格があるかないかの違いは、

「何かあった時の責任」

これに尽きると思います。

何かとは、「自殺」ですね。

資格もない人間が発した一言で「死」を促してしまったら、とても悲しいです。

でも、それは資格があっても同じこと。

資格があるかないか、ではなく、どれだけ「弱み、痛み、つらさ、悲しさ、いらだち、怒り、腹立たしさ、悔しさ、はかなさ、むなしさ・・・・」を共有できるかじゃないでしょうか。

 

今、この記事を書いている間にも、何人か患者さんが浮かびました。

待合室という空間においても、様々なことがわかります。

そして、「今、望んでいるのはきっと温かさなんだよね?」って

言いたくなることが多々あります。

 

今、死にたい、消えたいという気持ちをお持ちの方

どうか、あなたの周り以外の、つながるはずのない場所の人が、理解をしてくれる

だから、大切なあなたを消してしまわないでほしい

 

孤独に見えて、実は一人じゃないんだ。

いっぱい、いっぱい苦しんでいる人がいる。気持ちに寄り添える人は、必ずいるはずなんだ。

手を差し伸べてください

僕が握る

だから大丈夫、一人じゃない