あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

苦しみを理解されない苦しさ

こんにちは。

またまたお昼の更新です。

秋分の日ですね。朝晩は涼しさを感じますが、今この時間は、結構な暑さです。

まだまだ半袖1枚で十分なようです(僕にとっては)。

 

さて、お昼の記事としましては、ツイッターを見ていて、ある方のツイートを見て感じたことを書きたいと思います。

その類の言葉はたくさんツイートが流れていますので、特定の方のツイートを指すような言葉は使いません。

 

僕も度々発信している、「働かざる者食うべからず」という考え方についてです。

 

僕は、今でこそ仕事をしておらず、週末のチラシ配りくらいしかしていません。

現妻と別居生活になったのは、昨年の夏7月からです。

それまでは、何度も転職を重ねはしましたが、なるべく空白の期間を作らずに仕事をしておりました。

時には、平日の日中フルタイムに加え、週2日ほどの夜間の仕事、週末のチラシ配りを掛け持ちしていた時もありました。

それにも関わらず、「ある程度は稼いでいた」という評価を周囲の人々がほとんどしなかったことが、とても残念でなりません。

現妻に関しては、「これまで稼ぎが少なかった分、掛け持ちしてでも取り戻さないと」

という考えであったため、僕を「ねぎらう」ということなど、思いつくはずがありませんでした。

また、掛け持ち生活をしていた際に、両親と会っても、決して「無理しすぎじゃない?」という言葉はかけられませんでした。

ある意味、空白期間を作らず、掛け持ちしてでも一定の収入を得る、ということは当たり前のこと。

それができないのは弱い、未熟だからだ。

 

という考えがあったからだと思います。

 

このブログを読んで下さっている方には、何かしら精神疾患を抱えていらっしゃる方、またその関係者の方がほとんどだと思います。

僕ら患者にとって当たり前のことを、全く理解できない人はたくさんいます。

 

通院し、服薬しながら、気分の波とも付き合いながら、フルタイムで仕事をする、ということは、物凄いエネルギーが必要です。

疾患にかかっていない人の何倍もの苦痛を抱えているのです。

この大前提を、素直に受け止められないというのが、僕の周囲の人々(妻、両親)だったわけです。

 

休まず仕事に行き、何とかこなし、帰ってくる。もうそれで十分すぎるほどに十分なのです。

ですが、そこに育児、家事、家族サービスの必要性が入ってくる。

それも、僕の体調と相談しながらさせてもらえるならまだしも、僕の体調は無視、そして育児に関しては、ほとんどが僕がやった方がスムーズという事態。

 

現妻と過ごしている間は、先程も話したように、なるべく空白の期間を作らずに、仕事を続けていました。

しかし、昨年の夏に、もう僕のエネルギーはゼロ、いやマイナスになっていた。

何もかもが無理になっていた。

そんな時、

「空白の期間を作らず、頑張ってくれたから、疲れが出てしまったんだね」

というような言葉は、両親、妻、誰からも言われませんでした。

 

それよりも、「え?なんでまた体調悪くなってるの?いつまでそんなことしてるの?」

といった見方をされました。

実家に戻ってきてからも、そんな感じでした。

両親は、「僕の体調についてはもう、何も問題がない。あとはやる気、責任感だけ」という考え方をしておりました。

 

からしたら、そんな人々が周りにいて、十分な休息ができるはずはありません。

また、服薬しながら、気分の波と付き合いながら、仕事をする、家事をする、もっと言えば生きている、ことがどれほど苦しいものか

本当に理解できないんだなって思うのです。

 

何度も触れてきましたが、「気分の波」については、「誰だってそれくらいはある」で済まされる。

「死にたい」については、「誰だって一度くらいは死にたいと思う、それを乗り越えてこそ人生だ」で済まされる。

 

もう、両親と話し合う気力はありません。

それじゃあ「死にたい」が毎週のように襲ってきた経験はあるのか?と聞くと

「それは心が弱いから」という言葉で済まされる。

 

何が言いたいのかというと、結局、そんな風にしか理解はされないっていうことです。

つまるところ、仕事をしていない、家事をしていない、ことは、どれだけ考えても「さぼっている」「怠けている」「甘えている」「弱いから」

としか思えないようです。

 

しかし、世間は広いわけで、そうした苦しさを理解し、しっかりと受け止め、認めてもらえるような方が多く存在していることも分かっています。

ただ、僕にはそのような人は周りにはいなかった。

だからこそ、長引いた、今も続いている。

家族から見たら、「いつまでそんなこと言ってるの?」と思ってしまうのも、仕方がないことなのです。

そうとしか考えられないからです。

 

こんな感じに悩んで、苦しんでいらっしゃる方は、きっと多いのだろうと思います。

「気持ち」「感情」「体調」を無視して、「怠け」「甘え」「弱い」なんて、なんという傲慢な態度でしょう。

 

家族の理解を得られずに苦しんでいる方へ

何も家族から理解を得られなくても、大丈夫なのです。家族はあくまで他人です。

どうか、家族からの評価=世間の自分に対する評価 だと思いこまないでください。

 

苦しさ、つらさ、悲しみを受け止めてくれる人は、たくさんいらっしゃいます。

もう、言っても無駄、という家族に対して理解を求めて神経をすり減らすのはやめませんか?

家族は理解してくれない、でもこの人は理解してくれる。

そんな心の拠り所を作っていくことが、理解のない家族に囲まれた状態で、希望を失わずに生きていく方法の一つだと思っています。

「僕にはこの人がいるから大丈夫」

そんな人を、探してみませんか?

自分の過去も、体調の波も、今まで理解されなかった苦しさ、それすらも受け入れて、優しく温かい言葉で包まれたら、

たとえ、批判ばかりしてくる人たちに囲まれていたとしても、孤独ではない。

 

だって、僕には味方がいるんだから。