あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

苦しい初期設定

こんばんは。

 

今日は風が強くて寒い1日でしたね~。

それでも、東京では18度と物凄く暖かかったようですね。

暖冬、とは言われておりますが、これからしっかりと寒さは強まってくるはずなので、体調を整えながら過ごしたいですね。

 

さて、今日はブログのメインテーマとなってきている「安心感」についての話をしたいと思います。

うつ病双極性障害、またはその他の精神疾患を抱えていらっしゃる方にとって、やはり長期化していること、一向に良くなる気配がない、ということがあらゆる環境を乱すことにつながっているのではないでしょうか。

脳内の問題、副腎での問題、甲状腺などの問題、色々と不調が出てくる原因はあるかと思います。

そういったものに関しては、服薬である程度は改善されるのだと思います。

ですが、それでも改善されない、むしろ悪化してしまう、そんな場合には、やはりカウンセリングを受けるということが挙げられると思います。

 

トラウマや育った環境、それこそ、生まれ持ったHSP気質が原因となってくると、薬ではどうにもならないのだろうと思うのです。

いわゆる「癒し」が必要なのだろうなと思うのですが、その「癒し」を受け取ることができない場合があるのではないでしょうか。

 

例えば、

・自分は過去にあんなことをしてしまって、なんてバカなんだろう

と思っていたとします。

やはり、自分はバカである、と思い込んでしまうことは、とても苦しいと思います。

そして、そこに拍車をかけるように、家族など周囲の人からも、責めるような言葉をかけられる。

もう、自分=バカ、というのが基本設定となってしまい、何をするにしてもそれが基礎となって考えることになる。

そうなると、どれだけ自分はバカじゃない、という体験をしていても、そこではなく、自分はバカなんだ、という証拠を探してしまう。

そして、「やっぱりバカだったんだ」と思う。また、新しい出来事に遭遇した時も、「自分はバカだ」というスタンスで取りかかるために、結果がうまくいったとしても、「自分が頑張ったからだ」とは捉えず、「自分はバカだから、他の人がすごいから、うまくいったんだろう」

と考える。

また、周りの人がどれだけ「いや、君はよく頑張ったよ!」「すごいよ!」と言ってくれても、ベースに「自分はバカ」というものが出来上がってしまっているため、

今回はたまたまうまくいっただけ。と考え、やはり「条件が違えばダメになっていた」のようなことを考えてしまう。

 

ただ、周りの人は決して陥れようとして、「すごいよ、すごいよ」とはやし立てているわけではなく、本当にそう思うから、そう言っているのです。

ですが、受け取る自分の土台が、既に「自分は大したことない人間」というところから始まっているため、褒められてもあまりプラスにならない。

 

これは、僕がそうだった、という経験から話をしています。

ですから、「そんなん違う!」というご意見は多々あるかと思います。

僕が経験してきて、カウンセリングや色々な治療を受けてきて、また、患者さんと接する機会を経て、思っていることを書いています。

 

「自分=バカ」という基礎設定を、無理矢理、壊そうとすることもあります。

例えば、「あの時は成功したじゃん」「やればできるんだよ!」「成績は優秀だったじゃん」「誰もあなたをバカだなんて思っていないよ」

そんな言葉をかける。もちろん、悪意はありません。

元気づけ、勇気づけ、笑顔になってほしいから、言う。

しかし、基礎設定がガッチリと出来上がってしまっていると、「その時はそうでも、いや、でも別の時には・・・」と瞬時に自分がダメだ、という証拠を探しに行ってしまうのです。

こうしたものが繰り返されたら、周りの人間は疲れ果ててしまいます。

何を言っても否定的に捉えてしまい、もうかける言葉がない。

そうやって、僕は呆れられたことがあります。

 

でも、本質はもっと深いところにある。

どうして「自分=バカ」という基礎設定が出来上がってしまったのか、また、どうして、周りから「そんなことないよ」と言われても、その言葉通りに受け止めることができないのか。

 

そこを紐解いていくと、僕の場合、「自分は大したことないと思っていなければならなかった」という、とても恐ろしい発想に辿り着いたのです。

どれだけ成果が出ようが、自分は常に下、自分は常に劣っている。

そう思ってきた。いや、思わされてきた。

 

そんな時に重要になってくるのが、「安心」です。

自分は劣っている、と感じてもいい。自分はバカで、ダメなやつ。それでもいい。

「そんなことないよ!」ではなく、「そんな気持ちも持っていても良いんだよ」

先ほど、周囲に呆れられて、かける言葉がなくなった、と書きました。

しかし、まだまだ周囲がかける言葉はたくさんあるのです。

考えが深くないから、そこに辿りつけないのです。

 

「そっか。自分はダメだって思うんだね。いつから、そう思うようになったのかな?」

「自分はダメって、具体的にどういう状態のこと?」

 

先ほど、周りの励ましや勇気づけの言葉を、プラスに受け取ることができない、と言いましたが、その考え方が「間違い、直さないといけないもの」であるとは思っておりません。

むしろ、そんな状態こそ、受け入れる。

「人がせっかく褒めてあげたのに!!!」

それは、言った人の自己満足です。

確かに、その言葉通りに受け取ることができない、ということは心苦しいことが多いです。

しかし、自分はダメなやつだって思ってしまった経緯や、具体的なところを突き詰めていくと、やはり家庭環境や友人関係などに問題があるのでしょう。

そんなところまで深い話を、気軽に、安心して、全てさらけ出すことができたらどうだろう。

そして、一つ一つの感情を肯定する。一人では難しいでしょう。

互いに認め合う。ネガティブな気持ちも、破滅的な気持ちも、全て「抱いても良いもの」

として認める。

 

そんな作業をしていると、もしかしたら、ふと。「あれ?自分って、そんなにダメじゃないんじゃないかな?」

と思うかもしれない。

僕はそうだった。

なんだか、ダメダメって思っていた自分は、実はけっこうすごいんじゃないかって、思うようになる。

 

「安心感」は目に見えるものではありませんが、例えば、話し合う会、というような場所を設定し、目に見える形で実現していくことは可能です。

目に見えないものだからこそ、目に見える形にしていけたら良いなと思うのです。

 

あくまで、僕個人の体験からの話でしたが、お気軽に声をかけてくださいね。

長い記事ですみません。

読んでくださり、ありがとうございました。

それでは、また明日!

おやすみなさい