あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

いわゆる転機

こんばんは。

 

日常生活に支障が出る程に症状がひどい。

そんな日もある一方で、そこまでひどくない状態の時もある。

そんな体調や気分の移り変わりには、とても悩まされております。

 

これまで僕はいくつか病院を変えてきましたが、病院を代わる度に診断名が変わっていきました。

今は「うつ病」ということでの治療をしておりますが、現在の病院の前には「躁うつ病(現在は、双極性障害)」という診断をされておりました。

 

そこまで激しい躁とまではいかない、「普通に調子が良い日」という程度のものが出ているため、自分でも双極性障害で間違いないのかもな、と思っているわけです。

やはり、「普通に調子が良い日」と「ほとんど動けない日」というものが繰り返されてきたこともあり、余計に周囲の理解を得ることが難しかった。

 

ずっと寝たきりだったかと思えば、朝から元気に起きて活動する日もある。

そういった波が、以前に比べるとマイルドになったような気はする。

ただ、なくなるということはなく、時折、激しい波が襲ってくる。

もしかしたら、今の薬の処方は合っていないのかもしれない。

とはいえ、これまで数々の薬を試してきた結果ですので、今から「それじゃあ別の薬で」と言っても、あとは何があるんだろう。という感じです。

 

カウンセリングの重要性もあるわけですが、経済的な理由で継続することができておりません。

 

また、「仕事がしたい」「社会の役に立って、収入を得たい」という気持ちがとても強く、それゆえに「焦る」ということになってしまっております。

うつ病」と「双極性障害」とでは全く異なる症状となるわけですが、元妻や両親からしてみれば、「今更、どっちだって一緒、もう病気だなんて言っている時じゃない」という考え方をしているのです。

 

「普通に調子が良い日」には、自分でも「もしかしたら、ただの甘えや怠けなんじゃないか?」「仮病なんじゃないか?」とうっすらと考えてしまっていたため、周りの人達の理解がないと、余計に「仮病なんだ」という疑いが強くなってしまいます。

それでは、薬の処方は適切であっても、十分な効果は出ないと思います。

 

そう、今、僕がこうやって自分の症状について丁寧に振り返って分析をしていても、これを周りの人が理解できない(理解しようとしない)ならば、意味がない。

 

もちろん、両親と離れて暮らすという目標はありますが、離婚をしたばかりで金銭的な余裕はない。そして、仕事も決まらない。

離れて暮らすための蓄えすらできない状態です。

 

とりあえず、日常生活に支障が出てしまっている状態ですが、元妻の病気への無理解や、僕への批判的な言葉、両親の病気への無理解、というのは回復を妨げている要素ではあります。

しかし、その歪が生まれてしまった背景やもっと深い部分について考えてみると、そこには、このブログでのテーマとなっている「安心感の欠如」がある。

 

親に対し、「お母さん、お父さん、怖いよ、助けてよ!」とは素直に言えなかった過去があり、そして今がある。

そういった部分に意識を向けてみると、物凄くたくさんの要因が絡み合って、現在の「日常生活に支障が出ている状態」を作り上げているのだと分かる。

そして、それらについては、悲しいかな、やはり僕だけしか十分に理解はできない。

両親にその問題について話をしても、「そんな古いこと、関係ない」という認識で終わるだろう。

また、昔のことが原因で、今苦しんでいる、ということであれば、「その昔のこと」をこれまでの人生で「解決」して来なかった未熟さ、弱さ、という指摘となる。

 

現在の社会において、日常生活に支障が出てしまっていること、について、それが「未熟、弱さ」という認識を受けることには、真っ向から反対はしたいとは思うのですが、

そこまで反発をしなくても、「ある意味」仕方ないことなのかなって思えるのです。

 

どういう事かと言うと、「未熟、弱い」という評価は、現在の社会に適応できるかどうか、によって言われてしまうものだと思うからです。

ただ、「現在の社会」と一括りに言いましたが、会社の数を考えたら、物凄い数あるわけです。

一つの会社に適応できなかったからと言って、その他全部の会社がダメなのか、そうではないと思います。

また、そう考えられる大きな理由として、現在は時代の変わり目にあるのかな、って思うのです。

 

とにかくがむしゃらに働け、とにかく電話かけまくれ、先輩よりも早く帰るな、誰よりも早く出社しろ、

みたいな「とにかく何でもやります!」と言う人が通用する時代ではなくなったのだろうなと思います。

もちろん、時代の変わり目、ということから、今でもそういった認識で仕事をしている人達はたくさんいると思いますし、そういう社風の会社はたくさんあるでしょう。

しかし、その反面、

楽しんでやろう、無理なものは無理だろ、困ったらいつでもヘルプ出して支え合おう、

そんな空気が作られているのかなと思う。

なので、自分が居心地よく活躍できる場所、を探すことは、決して無駄ではないし、絶対に無理というものではないと思うのです。

 

僕も40代になったということで、離婚も成立し、経済的にもほぼリセットされてしまい、色々な人間関係がリフレッシュできるこれから、

僕も転機なのかなと思っています。

だから、「しんどいなぁ」と思いながらも、めげずに求人に応募していくことは、素晴らしいことだよなって思う。

例え不採用となったとしても、全然違う会社の人と話すことができるのです。

話が盛り上がって、「これは採用されたな」と思っていても、不採用通知が来て、面接での話題を振り返ってみて、「あの部分がダメだったのかなぁ」って思うことも重要かなと思いますし。

「良い人そうに見えたけど、毎日顔合わせるとなると、たぶんしんどい」

って思うかもしれません。

 

色々な意味での転機、時代の変わり目、しんどく、虚しく、寂しい気持ちに支配されることもありますが、それぞれがかけがえのない感情なのだろうなと思います。

あきらめて、閉じてしまわず、繋がりを大切にしていこうと思う。