依存症について
こんばんは。
僕が学生の頃、お店で何かを買って代金を支払う場合、ほぼ100%現金でした。
大学生の頃までは本当に世間知らずの坊やだったので、一人で地下鉄に乗り、何度も乗り換えて目的地に着くということはとても難しいことでした。
また、自転車を使っての移動にしても、地理感覚があまりなく、迷子になりやすかった。
そんな過去がありましたが、現在ではどう変わったでしょう。
今回話したいのが、代金の支払い方法についてです。
今では本当に様々な支払方法があります。
現金、クレジットカード、デビットカード、金券、ポイントカード、QRコード、ウェブマネー、借金
使ったことないものもあるでしょう。
僕は未だにスマホでピッてやるやつを使ったことありません。
種類がたくさんありすぎ、キャッシュバック(ポイント還元など)のことを考えて支払い方法を変えている方もいらっしゃると思います。
あとは、お店ごとにね。対象のポイントが決まっているので、それで使い分けたり。
例えば、今所持金500円を持っています。
さて、僕はいくらの商品を買うことができますか?
散財というものを、僕もしたことがあります。何度も何度も。
今はかなり落ち着いており、収入に見合った使い方をしております。
金銭感覚が狂うという言い方はちょっと違っていて、もう、とにかくおかしいんですよね。
現在、様々な支払い方法の選択肢がある。そんな中、所持金500円でいくらのものが買えるか。
500円が上限ならば良いです。
でも、クレジットカードは今すぐに支払う必要はありません。
ポイントで支払うこともありえます。もしくは借金をしたら、すぐに現金が手に入る。
散財をしてしまうという場合、とにかく何がなんでもお金を捻出しようとします。
または、支払い能力以上の買い物をしてしまいます。
僕もつらかったです。狂っているんです。
恐ろしい現実です。
僕はそこにアルコール依存が入っていました。
お酒を買うお金がどうしても欲しい。という感じです。
思い出しただけで「あの頃には戻りたくない」と思います。
そんな経験をしている中、周りの人たちの反応で一番つらかったこと。
それは、「現金、クレジットカード、その他諸々を取り上げられる」ことでした。
散財をしてしまうという人に対し、周りの人がだいたいすることは、支払い能力を取り上げてしまうことです。
僕の元妻はその行動が非常に激しく、仕事で必要となる駐車場の料金(あとで会社から戻ってきます)や、病院に行くお金(元妻は、僕が完全無料だと信じ込んでいました)を一切渡してもらえませんでした。
そのため、仕事については駐車禁止を貼られるかビクビクしながら仕事をしていたし、病院についても何度か「ツケ」にしてもらっていました。
確かに元はと言えば、散財をしてしまった自分が悪い。
それに対し、ある種の「罰」を与えるのは当然のことなのかもしれない。
ただ、僕は散財もある意味、病的なものだと考えています。
それを病気と理解するか、その人の人間性の問題だと理解するか。
その判断によって、対応はものすごく変わってきます。
まず、人間性の問題だと捉えた場合、散財しているという事実以上、本人の性格、内面の部分まで否定されることが多い。
そうなると非常につらいです。
現金やクレジットカードを取り上げてはいけない。って強く思います。
それは、勘違いだし、間違った対応だと思う。
もちろん、そうしたい気持ちもすごく分かる。怒る気持ちも分かる。
罰を与えたい気持ちもすごく理解できる。
でも、大切なのはそんな表面的なことではないんだ。
散財をしてしまう人は、散財をしながらもがき苦しんでいる。
「苦しかったね」と言えるかどうか。
「あなたは間違ってる、おかしい!」と言うことはとても簡単だ。
でも、「散財をしてしまうこと」だけ抑えられればそれでいいのか?
もっと奥にある、大きな闇、大きな問題を無視してはいけないと思う。
僕は散財にプラス、アルコール依存状態に陥り、元妻さらには両親、義両親からも見放された。
「元妻が病気を理解してくれない!」という言葉には、今回触れた、なかなか理解されづらい問題も含まれている。
アルコール依存症の治療の最初は「断酒」だという。
お酒を飲みたくなることについて自分なりに分析をしたり、様々なレクリエーションを通して、お酒以外の解消法を模索したりする。
また、仲間がいることで「一人じゃない」という心強さに繋がる。
僕が思っていることは、アルコール依存の最初は「本人の強い意志」と「断酒」だけではない。
いや、その前に触れなければならない問題の方が大きいと思う。
どうしてお酒を飲みたくなるのか、どうして散財したくなるのか。
目の前にあるお酒や現金を取り上げたところで、その根本的な部分は解決しない。
だからこそ、慎重に丁寧に取り扱わなければいけないと思う。
また、「断酒」を始めたけれど、やっぱり飲んでしまった場合。
「意志が弱い!」とか「甘えている!」と叱責するのは違うと思う。
家族などの関係の近い人が、見放したり否定をしてしまっては、どんどん孤立してしまう。
それこそ、治療とは程遠いものになってしまう。
これは僕が自身の依存経験を色々な角度で分析し、「今だからこう思う」という気持ちです。
もちろん、全ての人に対応するものではありません。
何かしらに「依存」をしてしまう人に対し、周りの人は「こういう反応をしやすい社会だよね」という感じで話しました。
ちょっと長くなりましたが、今日はこんな感じでございました。
まだまだ暑いですが、のんびりまったり過ごしていきましょうね!