あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

後ろめたさの正体

こんばんは。

僕は度々、「後ろめたさ」を感じます。

いつからだったかな、もうだいぶ前からです。

小学生の頃、高学年に入り、クラス内でいわゆる派閥、みたいなものができました。

僕は、目立つタイプではなく、そこまで女子と仲良くできる人間ではありませんでした。そんな頃に、僕は「暗い、面白くない、気持ち悪い」という言葉を面と向かって言われることが度々、ありました。

 

それくらいの頃からでしょうか、突然、不意に「僕は悪いことをしている、みんなの機嫌を損ねている、僕は笑っていてはいけない、息をしていてはいけない」

みたいなことを考えるようになったのです。

 

それが、今でも続いています。

 

確かに、仕事が不安定になり、収入が不安定になってしまったことへの「申し訳なさ」は理解できます。

しかし、「後ろめたい」「何か悪いことをしている」ように感じてしまうのです。

 

もう、それこそ訳もなくですよ。不意にそのような気持ちが湧いてきてしまい、勝手に自滅していくのです。

そんな時に、「あなたの存在には、とても助けられている」みたいな言葉をかけてくれたら、どれだけ救われることだろう。

現妻からは、そのようなことは言われることはありませんでした。

むしろ「そう思うっていうことは、何か悪い、後ろめたいことがあるってことでしょ?」って、あっさりと疑われるわけです。

 

自分で自分の存在を、「必要としていない」ということです。

それって本当につらいです。

また、僕の周りには、「そんなことないよ!」って言ってくれる人がいなかった。

ですから、その都度、自力で払拭してこなければならなかった。

 

一時は、本当にやばかった時がありました。

現妻と過ごしていた時のことです。

いつものように、僕の体調の不安定がきっかけで口論となり、僕は、あっという間に「存在していてはいけない」という気持ちになってしまう。

そして、家を飛び出る。自分の頭を殴りつけながら。

それこそ、あてもなく、ふらふらと彷徨い、死ぬきっかけを探す。

 

自分で自分の存在を、認めていないんですね。

他の人にはそんなことをしないのに、自分に対しては、物凄く粗末に扱う。

 

本当は、前妻にも現妻にも

「愛しているから、一緒に乗り越えていこうよ」

って言われたかった。

 

ですが、既に僕はお荷物、目障りな存在だったわけです。

 

だから、今でも僕は自分に対して、かなりの疑いを持っています。

「コイツ(僕のこと)、生きている価値あるの?他の人の方が、もっとお金持ってるし、もっと面白いし、病んでないよ?」

そうやって、自分で自分のことを、ズブズブと刺し続けているのです。

 

どうしたら、それを癒していけるかなぁ。

今年の5月にHSPというものや愛着障害というものを知った僕は、それまでの考え方や物事を見る視点、が大きく変わりました。

そこで、行きついた考えというのが、「安心感や居心地」でした。

 

小学生の頃より、自分に対して否定的な言葉ばかりかけてきた僕は、おそらく「自分を肯定し、受け入れる」ということが非常に難しいと思います。

そのためにも、「支え合える人、肯定し合える人、理解し合える人」と共同して、癒していけたらいいなと考えているのです。

 

そのためには、当然、相手が必要となってきます。

1対1じゃなくても、複数対複数、でも良いのです。お互いの境遇を理解し合い、気持ちを肯定し合い、存在を認め合う。

 

今の僕には、そのような作業が必要なんだと思います。

人と交流することで、更に傷が深くなってしまう恐れがある。

それもとても分かります。

愛情というべきか、癒しの力というのか、見えないエネルギーによって癒される。

 

僕にはそんな作業が必要だと思い始めた時、もちろん、まず最初にカウンセリングを思い浮かべました。

それももちろん、素晴らしいことだと思います。

できれば、同時進行で進めていきたいのです。

それくらい傷は深く広いのです。

ですから、癒し続けなければいけません。

 

そして、おそらく、時間はかなりかかると思います。

 

そんな感じで、自分も癒されたいから、という理由で、「安心感をテーマにした交流会」を開こうと思ったのです。

 

同じような悩み、癒しを求めていらっしゃる方をお待ちしています。

 

 

って、ここのところ、しつこいくらいに「安心感」ばかりを連呼していますが、

本当にしつこいですね。

でも、「安心感」が欠けてポッカリと心に穴が空いてしまっている状態には、しつこいくらいの「安心感による癒し」が必要だと思うのです。

 

それくらいに生命を脅かされてしまうもの、だと僕は思っています。

 

また、声をかけづらいと思っていらっしゃる方もいるかもしれませんので、あえてお伝えします。

僕は、何かの勧誘や営業をするつもりはありません。

怪しい宗教を勧めるつもりなどありません。本当に心の底から、「安心感」が脅かされてしまうことへの問題に真剣に向き合い、克服していきたいと思っています。

 

「出会ってくれてありがとう」なんて、言われたいじゃないですか。