勝ち負けについて
こんばんは。
皆さんは、勝負事って好きですか?賭け事とまではいかなくとも、「勝ち、負け」が決まるようなことって、好きですか?
僕は昔から、勝敗が決まることがあまり好きではありませんでした。
日常的なことから言えば、「じゃんけん」も好きではありません。
そうは言っても、昔からじゃんけんを始めとし、勝敗が決まることは、日常の遊びにも必ずついてくるものでした。
鬼ごっこの鬼決めなんかは「勝敗」とは呼べないかもしれませんが、鬼になること、鬼を決めることに抵抗を感じていました。
また、学力についても同じでした。特に、中学校辺りから、クラスで何位とか、学年で何位といったり、通知表もそうですが、順位付けに対して、とても抵抗を感じていました。
それでも、部活は陸上といった勝敗がつくものをやっていましたし、成績についても、ある程度意識をしなければならない環境には逆らうことができませんでした。
確かに、走るのが速い、ということで他の友人と比較して「良い思い」をしたことは事実です。
ですが、昔から僕はそれはただ単に「走ること」においての話であって、他の分野では人それぞれ得意、不得意があると思っておりました。
ですから、「走るのが速い」からと言って、何も特別なことではないのだろうなと感じていました。
しかし、高校受験や大学受験、はたまた就職活動になると、応募者多数の中の「数名」に入らなければならなかったり、「何だか切ないなぁ」って思いながら、生活をしていました。
また、大学時代以降の男同士の話といえば、パチンコなどのギャンブルや、タバコについてなど、タバコには勝敗はありませんが、どちらかと言えば、僕は全く興味のない話題が多かったです。
そういった話題についていけない=劣っている=仲間外れにされる
という流れになってしまっていました。
あとは、付き合ってきた女性の人数とか。
そんなことから、僕は何となく、女性と話していた方が「気が楽」だと感じるようになっていました。
また、会社内は会社内で、以前の記事にも触れましたが、「給料に見合った仕事をしているか?」という価値観のもと、
「同期の〇〇は、こんな活躍をしていたぞ」という話を、上司や先輩から普通にされてしまうのでした。
そんな中、病気を患い、働くことができなくなった僕は、当然のことながら、「劣っている人間」思うようになってしまいました。
今、思えば、「なんて古い価値観なんだ」ということになりますが、いわゆる「競争社会」という風潮ですね。
そういった考え方は、非常に思考をがんじがらめにしてしまいます。
会社内だけでなく、結婚後の家庭内でも、「競争」「比較」というものが現れてきます。
例えば、妻の同期はもう子供を産み、新居を購入したとか。
また、定期的に自宅に送られてくる、地方紙のようなものに、「家計診断」という記事が載っており、ある家庭の収支について、ファイナンシャルプランナーがアドバイスをする、というコーナーです。
その記事を、毎回、妻は切り抜きをし、保管している。
僕もある程度の収入を得られ、雇用の安定がある程度、確保されている状況ならまだしも、通院中で何とかアルバイトに行っている状態(そして、治療費を出し渋られ、小遣いゼロ)で、そんな切り抜きを妻が見て、ブツブツ言っているのは、プレッシャーでしかありませんでした。
収入の多い少ない、は勝敗とは関わりがありませんし、そもそも何をもって「勝ち」なのか、というところでおかしいわけです。
ですが、やはり僕の中では
・一定の収入を、健康な状態で安定して得ることができること
が、いわゆる「勝ち」という基準が作られてしまい、そこが脅かされている状態=「負け」という悲しい思い込みに縛られてしまっているわけです。
先ほど、男同士の会話は「勝敗」をテーマにしたような話題が多く、女性と話している方が心地いいと書きました。
もちろん、女性同士の会話にも、それはかなりの「勝敗」に関するものが多くあることは理解しています。
色々と会話をしていると、「やっぱり男同士の方が楽なのかもな」と感じることもありますが、
どういうわけか、僕の周りの男性は、「賭け事」の話をする人が多く、そこに楽しみを感じられませんでした。
それに、学生時代からも、周りに女性が多いというクラス編成に慣れていたため、
どちらかと言うと、話のテーマが受け入れやすかったのだろうなって思います。
ですので、決して女性同士の会話に「勝敗」要素がない、ということが言いたいわけではありません。
さて、やはり就職活動についてもそうですが、ある程度の「勝敗」は必要なのだろうなとは思います。
特に、中途採用となると「1名」という枠に時には100人単位での応募が殺到します。
そんな時に、その「1名」に選ばれたい、他の応募者に勝ちたい、という気持ちはもちろん強くあります。
ですが、「不採用=自分が全否定された、自分は劣っている」という思考に陥りやすいことは事実なため、どうしてそのような極端な考えに至ってしまうのかなって思った時に、
やはり「勝敗」「損得」で考えてしまっている部分が(そう考えて生活をさせられてきた)あるのかなって思うのです。
人それぞれ、会話をしてみれば、それぞれに違う話題が出てくる。
それぞれに得意なところもあれば、苦手なところもある。
口癖もみんな違う、言葉遣いも、何もかもが違う。
そんなことは当たり前なことなのに、いつの間にか、どこかしら「ある種の普通」な考え方を教え込まれ、その道から外れることが悪いこと、であるかのような風潮が作り上げられてしまっているように思います。
じゃんけんで決まるのは「勝敗」などではない、鬼になる「ただのきっかけ」。
皆さんの日常に、ほんの少しずつでも、笑顔になれる時間が増えたらいいと思う。
収入の多さに嘆くのではなく、吹く風や虫の声に季節を感じて色々と思い出す。
そんな毎日が広まっていったらいいな。