怪しい宗教ではありません
こんばんは。
ちょっと夕飯を食べ過ぎてしまい、お腹が苦しい状態です。
10月に入り、やっぱり朝晩は、とても涼しくなりましたね。さすがに名古屋でも、涼しい風が入ってきます。
僕はHSPというものを知ってから、また、ツイッターにて同じような悩みをお持ちの方と交流する機会を設けたり、実際にHSP交流会に参加することもあったことによって、「癒し」について考える機会が増えました。
それはつまり、自分には「癒し」が必要であるということが明確になり、また、「癒し」を必要としている方がたくさんいらっしゃるということを知ったことでもあります。
ただ、それまではそれほど深く考えておりませんでしたが、「癒し」にも相性があるということです。
精神疾患に限らず、何かしら(風邪だとしても)の病気で病院に行き、診察を受けますが、先生との相性って非常に大切ですよね。
まだ、風邪くらいであれば、とりあえず風邪薬だけ処方してもらって休養すれば、どこの病院であっても、さほど変わりはありません。
ですが、定期的に通わなければならない疾患や、自分に合う薬を見つける作業をしなければならない場合、医師との相性はかなり重要です。
また、カウンセリングでも同じですよね。どのカウンセラーさんも、全ての患者さんを回復に向けて進めていけるかとなると、非常に難しいと思います。
当たり前と言われればその通りなのですが、この数か月の中で、それがはっきりと明確に分かるようになりました。
と言うのも、ツイッターやこのブログを通して、僕は「安心感」や「居心地の良さ」を追求していきたいといった発信をしておりますが、やはりそれも、全ての人にとって必要なもの、ということではないということが分かったためです。
イメージとしては、ジグソーパズルのピースのような凹凸がある患者さんと、支援をする側の人。合わないピース同士では、どう頑張っても合いません。
しかし、合うピース同士なら、何も苦労することなくピッタリと合う。そして、くっついたら離れない。
「癒し」もこんなイメージなのだろうなって思ったのです。
もちろん、形として目に見えるものではないため、「僕はこの形のピースです」なんて示すことはできません。
おそらく、合うか合わないか、というのは話をしている中で分かってくるものだろうなと思います。
合う人との会話であれば、きっと苦痛を感じないと思います。また、合う人からの言葉であれば、何となくですが、どんな言葉でも、すんなりと受け入れられるように思えるのです。
無理矢理、話そうとしなくても、とめどなく話が続いたり
また、沈黙した場合でも、どこか心地の良い沈黙だったり
一応、今は「癒し」という視点で話しをしております。
しかし、大勢いらっしゃる支援者の方々から、自分に合う方を見つけるのは、非常に難しいと思うのです。
時間的にも、資金的にも。
それならば、視点を変えて、「支援者」に限らずに探してみたらどうだろうか。
支援者ではない人っていうことは、つまりはカウンセラーやそれに関わる専門的な知識を持った方ではない人。
「癒し」は、通常の会話の中で自然となされていくものなのだろう、というのが僕の考えです。
きっとお互いのピースが合うのであれば、どんな会話でも癒される気がするのです。
「そんなの単なる理想論」と言われるかもしれません。
また、「癒し」を「甘やかし、その場しのぎ、まやかし」と理解してしまう方もいらっしゃるようです。
それこそ、「合うか合わないか」という部分で、「合わない」ということになってくるのでしょう。
日常会話をしている内に傷が癒えるなんて、素晴らしいと思いませんか。
「癒し」が必要だなって感じていらっしゃる方には、どうか自分を癒してくれる人を探して欲しいと思います。
そんな中、僕がテーマとして言っているような「安心感」に共感して頂けるなら、もしかしたらピースがぴったり合うかもしれません。
「そんな人、見つかるわけないじゃん!」「合うと思ってたのに合わなかった」
そんな時は、余計に傷ついたり、「もう無駄」って思ってしまうでしょう。
合うか合わないか、確かめるためには、ある程度真剣な話をしなければならないため、そのエネルギーが無駄だと感じてしまうかもしれません。
ですが、もし合う人に出会うことができたら、それまでの浪費したエネルギーを回復させるどころか、抱えてきた傷をも癒すことができる。
また、それはお互いに、ということでもあります。
どちらか一方が癒されるのではなく、癒し癒されの関係。
そこまでしてでも、癒す必要があるのではないだろうか。
また、きっと、「自分を癒す」という目的で行動をしていくと、これまでとは違った目線で物事を見ることができるのだと思うのです。
無理をせず、自分のペースで、「癒し」が実現していくと良いなと思っています。
なんだか、今日の記事は、怪しい宗教の勧誘みたいな感じになってしまいました。
決して、そんなものではありませんので、ご安心下さいね。
それでは、また明日!
今夜も一人じゃありません。
ゆっくりおやすみなさい