あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

発信する際に考えていること

こんばんは。

今日の2つ目の記事です。

 

僕は、極力、HSPだからとか、うつ病だから、という言い方はしないようにしています。

理由としては、個人差が激しすぎるからです。

ツイッターでも、たくさんのHSP気質をお持ちの方、精神疾患を抱えていらっしゃる方と交流をさせて頂いておりますが、本当に人それぞれです。

もちろん、このことは(HSPであるということは除き)、以前から理解していたことです。

そのため、以前にうつ病の方を対象とした復職支援施設を利用した際にも、意見の食い違いや非難のし合い、を経験し、悲しい思いをしました。

 

HSPという気質が、うつ病を引き起こすわけではありませんし、HSPだからといって、全ての方が「生きづらい」と感じているわけでもありません。

仕事や学校では居心地が悪いけれど、家族間では心地いい、とか

 

やはり環境による影響が非常に大きいと感じます。

HSP気質を持っていたとしても、それが苦しいと思わないような環境にいられたなら、生きづらいという感覚は持たないかもしれません。

 

HSPは病気ではないということですので、うつ病と併記することに物凄く抵抗がありますが、あくまで僕にとっては、という気持ちで書いています。

 

何らかの形でうつ病になってしまった方でも、職場や家庭の理解や協力があり、また、それがその方が必要としているサポートであったなら、復職というハードルはそれほど高くはないのかもしれません。

 

このように、人それぞれに背景、環境、そして悩んでいること、生活に支障が出る部分、などが違ってくる。

それらのことは十分に理解した上で、ツイートやブログでの発信をしています。

 

また、周囲のサポートがあったとしても、何かしら歯車がかみ合わなかったことにより、改善しない場合もあると思います。

 

僕の場合は、HSPという特性が先天的なのか後天的なのかが分かりませんが、(現在ではHSPは先天的なものであるとされているため、後天的ということであるなら、僕はHSPではなく、HSP的な性質が備わったということになります)

幼少より友人との関係で、相手の機嫌を伺うようになり、家庭内では両親間とのコミュニケーション不足により、常にビクビクしていた。

いつでも人から何かを言われることが怖く、心を許せる友人がいなかった。

両親からはあまり褒められることはなく、「そんなことじゃダメ!」と言われることが多かった。また、「できて当たり前」という感じだった。

その後、成長していく過程においても、心を許せるような人はできず、気づけば自分の気持ち、感情すら分からなくなっていた。

 

HSPだけではなく、色々な要素が重なって、「息苦しい、何だかよく分からない僕」が社会に出ていくことになっていったわけです。

 

そこから現在までの間に、どこかで安心して話ができ、安心して安らぐことができる期間があったなら、まだ違ったかもしれません。

しかし、残念ながら、色々な要因が積み重なり、安心ができない毎日を過ごすことになってしまった結果として、

会社に行けなくなる、寝たきりになる、何もする気がなくなる、自分が無意味に思える、などのような、日常生活に支障をきたすようになった。

 

僕一人を非常に軽く振り返っただけでも、とても複雑で一筋縄ではいかない状況、環境があるわけです。

ですから、SNSなどにおける発信などでは、とうてい悩みを抱えた方の支えになることは難しいですし、寄り添いなんて、とてもじゃないができない。

 

と、思うのですが

それについても、「本当かなぁ?」って思ってるんです。

まず、「自分のケアができないのに、人をケアできるはずがない」っていうことも疑問に思います。

なぜかというと、自分のケアができている方の言葉の中には、どうしても「空から言っている言葉」に聞こえるものがあるのです。

それはそれで、非常に役に立つ言葉であると思います。

ですが、「もう死ぬしかない」という気持ちに駆られた人には、もう少し違う視点の寄り添いが必要なのかなと思うのです。

 

僕は、自分にとって「居心地」であるとか「安心感」が欠けている、という自覚はありませんでした。いや、感じてはいましたが、認識として、「心の穴」。

もっと早く、そのことに気づいてケアができていたらなと思います。

 

僕の経験したことが少しでも活かせるのであれば、そうした「安心感、居心地」をSNSの中であっても、感じてもらえるのかもしれません。

ほんの一言がうるさく感じる方もいる一方で、心が軽くなる方もいるだろうなと思います。

 

皆さん、それぞれの環境があり、うまくいっていた時もあれば、何だか違うなっていう時もあり、それぞれの過去があり、現在がある。

その過去の中で、もしも「安心」が欠けていたとすれば、何かしら力になれるのかなと思うのです。(もちろん、欠けていたものは一つではないことが多いと思います)

 

夜の記事も長くなってしまいました。

だいたい、毎回2000字くらいなんですが、長いっちゃ長いですね。

 

本当に、毎回読んでくださる方、初めましての方、ありがとうございます。

それでは、今日はこれくらいで!

おやすみなさい。