あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

考えすぎとは言うものの

こんばんは。

 

今日の記事は、おそらく賛否両論、数多くのご意見がある内容だと思います。

 

HSPの特徴として、それ以外の人と比べ、「深く考える」ということがあります。

ものすごく簡単に言ってしまえば、「考えすぎ」だと言われてしまうくらいに考える部分があります。

同じHSPであっても、度合いが全然違ってきます。

HSPではあっても、考えることにそこまで時間を使わない人もいる一方、HSPであり、その中でも、本当に「これでもか」というくらいに考える人がいる。

それで、どちらかというと、僕は考えてしまう方だと思います。

おそらく、非HSPの人からしてみれば、「なんでそんなことを、いつまで考えてるの?」と言われることも多いと思います。

 

僕が言われて一番腹が立つ言葉があります。

「責任感がない」「役立たず」「優しくない」「誠実じゃない」どれも違います。

 

「考える時間がないくらいに忙しくすれば、考えることなんて少なくなる」です。

 

考える時間がないくらいに忙しくなれば、体がおかしくなります。

また、だからといって「考えてしまう」ことはなくなりません、軽くもなりません。

 

これは人から「考えすぎだ!」と言われがちな方にも、ある程度は共通するのではないでしょうか。

「考えすぎだと言われても、考えてしまうことが自然だからどうしようもない」

ということです。

 

それじゃあ僕は「比較的、考えないような人」になりたいか、と聞かれたら絶対に嫌です。

僕は僕のままがいい。

どれだけ考えすぎだと言われようとも、「そんなこと考えてないで行動しな!」と言われても、僕はこのままでいい。

 

このままの僕だからこそ、見える景色があるんだと思います。

もちろん、それほど考えすぎない人にも、その人の景色がある。

どちらが正解、間違い、というものではありません。

だからこそ、その人の考えていること、を丁寧に誠実に、真っ直ぐに受け入れる必要があると思うのです。

そして伝える時は、はぐらかさずに真っ直ぐな言葉が良いと思います。

「どうとでも解釈できる言葉では、人は癒せない」

「もうその意味しかない、という言葉」でのみ、癒されていくものだと思う。

ですから、例えば恋愛関係上の会話は、非常に難しいのです。

包み隠さず、真っ直ぐに伝えることができたらいいのに、と思う反面、そんな直球な言葉は恥ずかしくて言えない、という葛藤がある。

受けた側も、一体、どういうつもりで言った言葉なのか?曖昧なままに時間だけが過ぎていく。

 

僕は良いのか悪いのか、あらゆる場面で、真っ直ぐな言葉しか言えない人間です。

直接話す場合は、多少は和らぐのかもしれませんが、ツイートやブログなどの発信では、オブラートに包んだ言い方は、どう考えても出てきません。

それが良いと、言ってくださる方もいらっしゃいますし、そうでない方もいらっしゃる。

 

ただ、先にも述べた通り、僕は僕で良かったと思います。

この、真っ直ぐな言葉しか発信できない自分でなければ、僕ではないのかなと思っています。

 

ちょっと、最初に触れていた内容とズレていたかもしれません。

僕にとっては、ある意味「考えすぎる自分」でいることが居心地が良いのだと思うのです。

直球な言葉しか言えない、と言いましたが、その直球の裏側には、ものすごい速さで回転している脳があると思ってください。

フル回転の脳が発した、直球な言葉

もう、僕には、それしか言えないのです、そして、それで良いのです。

 

長い期間、ある意味「病んで」きて、本当に一番言われて嫌だった言葉は先ほどの

「考える時間がないくらいに忙しくすれば、考えることなんて少なくなる」です。

どんなに忙しくなっても、考えることは止まらないのです。

これは、実体験からわかっていることです。

 

具体的には、過去のブログにて色々な仕事を経験してきた部分で、触れていますので、ここでは触れません。

 

僕は僕のままで良いと言いました。

はっきり言って、つらいです。苦しいです。悲しく、切なく、寂しいです。

両親、兄はそこまで深く考える人間ではないのに、どうして僕だけこんな風なのか。

そして、考えたからと言って結果が良かったかといえばそうでもなく。

2回目の結婚も失敗、仕事も不安定。さんざんです。

 

でもね、諦めたくはないんですよ。

「考えすぎ」ということが、ある意味DNAレベルのものだとして、そんな僕がどうしてこう苦しいことばかりなのか。でも、それは表面的なことだけ。

内面は、少しずつですが充実しています。

なぜかって、以前は「僕は僕のままでいい」なんて思えませんでした。

やるべきことが見えてきた。

それが、何度も触れていますが、「安心感、居心地」です。

僕にはそれらが足りていません。悲しいことに、安心や居心地の良さを感じながら成長することはできませんでした。

ここまで苦しくて悲しい経験をしてきたことは、何か意味がある。

安心感や居心地は、もしかしたら通過点なのかもしれない。

それならそれでいい。それでも、今、僕は安心感や居心地の良さをテーマに、生きていきたいと思う。

そんな時に、傍らに誰かがいたらって、ものすごく思います。

 

安心感を求めて、居心地の良さを求めて

僕は僕の体、心のままで生きて、それを実現していきたい。

 

また、いつものように熱い文章になってしまいました。

すみません、脳から出た言葉をそのまま文字にしてるので、自然とそうなってしまうんかな。

 

それでは、また明日!

おやすみなさい

あなたの「考えすぎ」は、欠点じゃない。誰にもない、あなたの素敵な個性なんだ。