真逆の努力
こんばんは。
今日は2つ目の記事です。
僕は記憶を辿れば、幼稚園に通っていた時から、何かと色々と考える子供だったようです。
何を考えているか、というと、「周りの感情、気持ち」についてです。
今、目の前にいる子は、楽しいのかな?とか、自分じゃない方がもっと楽しくできるのかな?というようなことです。
そのように、あれこれ考えていると、正直、どうしていいか分からなくなることもありました。
それこそ「考えすぎ」ということになるわけですが、自分ではコントロールができない次元のことだと思うのです。
小学生の高学年の頃に、クラスの女子に面と向かって言われた
「暗い、面白くない、気持ち悪い」「絶対にチョコ(バレンタインのね)なんてあげたくない!」
という言葉を、ずーっと引きずっていることは、「考えてしまう」こととは少し違った問題かもしれませんが、何かにつけて、あの頃のレッテルの裏付けになってしまうのです。
会社でお局さんに嫌がらせをされていた時も、「僕じゃなければ、うまく切り抜けられるんだ」という自己否定につながっていきました。
今、実家に戻って過ごしていると、色々な事に気が付きます。
例えば、家事の手伝い。高齢になりつつある両親を前に、「何もしないのでは申し訳ないな」と思うのです。
しかし、その一方で、それに縛られすぎると自分が疲れてしまうということが分かるのです。
手伝えば手伝うほど、「本当はやりたくない、そんな気分じゃないんだけど、やらざるを得ないこと」が増えてくるのです。
そして、両親は「手伝うのが当たり前」という考え方をしていたため、「手伝わない」ということは「悪」なわけです。
そんな葛藤を抱えていた時に、ある本に出会いました。
ちょうど、HSPについて知ったのと同時くらいでした。
心屋仁之助先生の「強がらない」という本です。
その本では、僕は「やっぱりそうだったのかぁ・・・」って思う部分がたくさんありました。
僕はそれまで、「治る」ということは、非HSPになることだと思っていました。
そして、そのために苦しいことも我慢して続けようとしては挫折して、を繰り返していました。
「強がらない」という本の中で、「今、逆をやろう」という考え方について取り上げている部分があります。
決してその本には、HSPという言葉は出てきませんし、完全に僕の解釈ですが
HSPを知った時、僕はこれまでは完全に逆の努力をしていたことを知りました。
それはつまり、非HSPになるということ。
なので、「これまでと真逆の行動をしたらどうなるんだろう?」
って思ったのです。
具体的に言えば、「あえて両親を手伝わない」
「気が向いたこと以外はやらない」
「自分が楽しいと思う、心が向くことだけをやる」
「行き先も告げずに、勝手にどこかに出かける」
「両親と無理してしゃべらない」
「買い物にもついていかない(気が向かなければ)」
「話を振られるまでしゃべらない」
「自分から挨拶をしない」
こんな感じで、今までやっていたことの逆をしてみようと思ったのです。
そうは言っても、度々、ツイートにも書いていますが、母親のブツブツ文句は非常にストレスになります。
また、「きっと両親は、あいつは何もしないな」なんて思っているんだろうな
という相手の気持ちを察知してしまうので、どうしても苦しくなる時があるのです。
そんな時、まさに「僕は、いったい何をしてるんだろ」って思ってしまうのです。
最初の頃(と言っても、今年の5,6月頃ですが)は、非常に苦しかったです。
ついつい手伝ってしまうわけです。そして、ついつい話し相手になってしまうのです。
でも、そうしている内に徐々に心がすり減っていることが分かったのです。
ですから、こうやってブログを書いている間も、イヤホンしながら書いているわけですが、親から見たら
「何をやってるんだか、困ったねぇ」って思うでしょう。
ですが、そのお陰で、ツイッターを始め、このブログでの発信など、非常に中身の濃い時間を過ごすことができています。
ツイッターは所詮はSNSなので、その中での人間関係なんて、「あってないようなもの」なのかもしれません。
ですが、心理セラピーの告知や、各種交流会の案内、また、闘病されている方の苦しい思いなどが流れているツイッターでは、決して表面だけのものではないような気がします。
真剣に問題に取り組んでいらっしゃる方、真剣に心の安らぎを求めたり、安心感を与えたりしている方がたくさんいらっしゃる。
そんな方々とつながることは、これまでの生活の仕方では、絶対にできなかったことでした。
「あえて自分の気の向くままに」行動した結果、僕はHSP交流会に参加したり、様々な方と交流することができた。
大切にしたいと思えるつながりも見つけた。
そこまで言う事ではないのですが、少し毒を吐かせて下さい。
両親の手伝いをしないからと言って、両親から「役に立たない」「もうダメ人間」という言葉を受けても、もう何とも思いません。
どうして、僕はいきなり手伝わなくなったか、わかりますか?
どうして、たまにネットカフェで過ごすことがあるか、わかりますか?
それらが自分たちの言動に問題があると考えたことありますか?
あなた方は、僕に、どれだけ温かく優しい言葉をくれましたか?
僕は・・・、覚えていませんよ
すみません。
誰かのせいではない、ということが最終的な結論ではあるのですが、
もう少し両親に「思いやり、温かみ」があれば良かったな、と思ってしまいます。
だからこそ、僕は「温かさ、優しさ」を重視したいと思います。
どんな言葉が温かいか、優しいか、は人それぞれ違いますが、
度々の絶望感に襲われてしまってから這い上がるたび、不思議と心が温かいことに気づくのです。
今、どうしても苦しいなっていう方、長く不調が続いていらっしゃる方、薬だけじゃ無理だなって思う方、その他何だかうまくいかないなっていう方
「あえて逆の努力」をしてみませんか?
もちろん、それにはかなりの勇気がいります。
では、「今、イヤイヤやっていることを、少しだけやめませんか?」
もしかしたら、全く違った世界が見られるかもしれません。