あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

誰かが悪いわけじゃない

連投してすみません

2こ目の記事です。

 

というのも、先程の記事を書いていて、あることを思いついたので、もう1つ書こうと思います。

 

何でも人のせいにする傾向にある、母親と妻ですが

明らかに自分の原因であったとしても、ものすごい回避能力で、責任を逃れます。

 

妻の履歴書の特技「どんなことでも、決して自分のせいにはしません」

 

今、僕は妻とは離婚調停中でして、来週の木曜日に4回目の調停があります。

そこで、決まるのか、どうなるのか。

調停を申し立てたのは僕です。

理由としては、このまま夫婦生活を続けていけば、僕は自殺してしまうから。

現妻と結婚する前までも、「うつ病」の治療中ではありましたが、「死んでしまった方が良い」という考えは持っていませんでした。

現妻と過ごしていく中で、そういう気持ちが現れたわけです。

 

調停中でありますので、少なくとも、「妻が原因で悪化した」という主張をしなくてはいけません。

 

ただ、時々ブログにも、ツイートにも書くように

誰かのせい、っていうものではないと思っています。

僕がどこにいても居心地が悪く感じてしまうことの原因の一つとして、HSP気質があるのであれば、僕は生まれながらにして「生きづらい」素質を持っているわけです。

また、そんなことは自分ですら理解していなかったわけで、当然、家族も気にすることはありません。

 

HSP気質を持っていたとしても、全員が「生きづらい」と感じているわけではありませんし、必ずしも日常生活に支障が出てしまうわけでもありません。

僕の場合は、本当に色々な要素が重なり合って、「生きづらさ」を感じてしまうようになったわけです。

それでも、日常生活に支障が出てしまう(仕事や家事ができない)ようになるまでにも、色々とあったわけです。

 

何でもかんでも人のせいにする母親、妻に囲まれ、そこに悪意があったかなかったかは別にして、追い詰められてしまう状況になってしまった。

おそらく、悪意はないのだろうと思います。

なので、誰も僕に対して、「さぁ、苦しんで苦しんで、死になさい!」というつもりで接していたわけではありません。

 

自分を含めたみんなが悪い、とも言えるし、誰が悪いというわけでもない。

僕には、もう、そうなるべくしてなった、と思うことが自然な気がしています。

追い詰められて当然、死にたくなって当然、体調不良を起こして当然だったのです。

 

誰でも気分の波がある。

と言ったところで、「それじゃあ、誰でも、もう死んでしまった方が良い」と思うのか

そうではないでしょう。

それに、「死んでしまった方が良い」と思ってしまうのは、「弱い」「甘い」からなのか。

それも違うでしょう。

 

もう何もかもがどうでもよく、生きていても意味がない、破滅的な気持ちになった時に、見える景色、その時に味わう気持ち

非常に苦しいわけですが、そんな景色を見ることによって、深く考えることにつながっていくのだと思います。

そして、僕の人生には、それが必要だった。

それは、僕が「未熟で、甘くて、弱い」からこその試練というわけではなく、

ある種の特別な試練なのだろうと考えています。

 

誰でもが経験することじゃない。でも、僕にとっては、当たり前のように経験してしまうこと。

一人の人間、しかも子供もいる人間が、「死んでしまった方が良い」なんて、悲しいじゃないですか。

 

一度、「死んでしまった方が良い」というような考えを持ってしまうと、そう簡単にはなくならない。

 

誰かが憎いわけじゃない。親が悪いわけでもない。妻が悪いわけでもない。

だから、余計に、人のせいにするという行為に違和感を覚えるのです。

 

そんなことを思ったので、書きました。

ほんとにツイートの延長で申し訳ないです。

それでは、また明日

おやすみなさい