あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

厳しいことを言うようだが?

こんばんは。

 

昨晩、寝る前のツイートで、あることをつぶやきました。

 

家族や妻、などの身近な人から、僕はよく言われていました。

「私だから言いにくいことも言わないといけない」という前置き。

その後に、批判、非難をされてしまう。

 

特に母親からですかね。また、社会人になってから、結婚してからです。

口酸っぱく言われていました。

その母親の口癖は、「だから言ったじゃない!」です。

 

僕は今、妻と子供と離れて実家におり、妻とは離婚調停中という状況です。

改めて、両親と僕の関係を眺めてみると、痛々しいくらいにボロボロなことが分かりました。

妻との離婚の話を持ち出した時、父親の第一声は

「離婚なんて許さんぞ!」でした。

妻との関係が悪化していることは、両親も知っており、そして両親と妻の関係も最悪な状況でした。

そんな間を取り持つ僕は、上述の

「親だからこういうことも言わなきゃいけないけど・・・」

という前置きの後に、子供のこと、お金のこと、仕事のこと、色々と言われました。

 

その結果どうなったか

僕は死ぬ寸前まで追い詰められました

そんな僕を見て、両親は一言

「なっさけない!」

 

僕は、基本的に他人(家族も含め)に対して、否定的な言葉は言いません。

相手が罵って来たら話は別ですが、

やっていること、言っていること、に対してそれを否定する言葉は使いません。

また、「言いにくいこと」なんて言いません。

言う必要がないと思っています。

 

自分が子供を持って見て、またその子供と離れ離れになってしまい、両親と過ごす生活に戻り、

その「言いにくいこと」をもし言わなければならない時、どうしたらスッと聞き入れられるだろう、と考えました。

というか、常々考えていたのですが

 

おそらく100個の優しい温かい、耳障りの良い言葉という土台があり、ようやく1,2個の厳しい言葉が伝わるのかなと思うのです。

 

これを「甘い」と考える方もいらっしゃるでしょう。

そんな優しい言葉ばかりでは人は育たない!という気持ちも分かります。

ですが、それは本当でしょうか?

 

僕はどちらかと言うと、「厳しい」言葉ばかりの中で育ってきました。

「それくらいできないとダメ!」「そんなこと言ってたらダメ!」「しっかりしなさい!」「ちゃんと!」「きちんと!」「絶対に!」

 

しかし、そんな言葉の裏側に、その言葉の数以上の優しい、温かい言葉を受け取っていたとしたらどうだろう。

きっと、厳しい言葉を言われる側の土台が全然違ってくると思う。

 

「今日のお母さん、怖いなぁ。でも良いや、いつも優しいし」

そう思えたら、例え母親の機嫌が悪くても、安心することができる。

ビクビクする必要がない。

 

今、僕の妻が子供にどういう声かけをしているか分からない。

少なくとも、僕と過ごしていた時は、厳しい言葉が多かった。

それは僕がいたから、かもしれない。

僕が妻にとっての不安の種、ストレスの源であったがために、余裕がなくなっていた。

 

今後、離婚調停の進み具合がどうなるか分かりません。

子供との面会の頻度がどうなるか分かりませんが、僕は温かい言葉をかけることができるだろうか。

会えない空白の期間の、子供の姿を見ていない僕が、いきなり温かい言葉で迎えたら、受け入れてもらえるのだろうか。

僕は、子供に謝らなければならない。

こんな形になってしまったことを。

 

そして、その償いのためにも、僕は心を豊かにしていきたいと思います。

子供がどんな態度をとっても、受け入れる。

僕は自分の人生を、自分らしく生きていくことで、僕の魂が感動し、喜び、大きなエネルギーが生まれるのかなと思います。

もちろん、そんな大したエネルギーではないです。ただ、手をつないだ時に、しっかりと感じる温かさと優しさ。

 

このブログを通して、ずいぶんと心が豊かに、というか、自分の考えを整理することができるようになりました。

毎回、「安心感」「安心」というフレーズが出てしまうわけですが、それほどまでに、僕には「安心」がなかったんだなと感じています。

 

優しい言葉は強く、温かい、そして時に熱い。

そんな安心感の中に、愛が生まれる。