孤立無援で治療ができるわけない!
こんばんは。
2日間、間が空いてしまいました。
あれ?そんなことないか、1日だけか。
先日、朝から面接を受けたわけですが、(最初からそのつもりだったのですが)、家に帰りませんでした。
さて、いつからでしょうか、現妻と関係が悪化し始めたくらい、3~4年前くらいでしょうか。
寝ている間に、「口論をする夢」を見ることが増えました。
口論の相手は、妻だったり、両親だったり、会社の人間だったり、様々なわけですが、夢の中での僕は、うまく言葉を発することができないのです。
言えたとしても、ものすごく小さな声「ささやいているような感じ」だったわけです。これは、実際に口が動いているようです。そして、大声が出せたかと思うと、実際に大声での寝言を叫ぶのです。
最も多い言葉は、「ふざけるな!!」でした。
また、声が出せない状況が続いていると、暴力的な行為をしようとします。
つまり、「殴りかかる」ということです。
そしてこれも、実際に手が動くわけです。結果として、壁だったり、床を殴りつけているのです。
妻や子供は、その音にビックリします。
僕は僕で、自分の怒鳴り声や、手への衝撃で、目が覚めます。
夢の中での口論の原因は、もちろん、その夢ごとに違ってくるわけですが、だいたいが僕が全面的に責められる状況になってしまいます。
「あれについてはどうなっているのか」「どうして、あんなことをしたのか」
現実で言われていることと同じですね。
「いつまでそんな状態なのか」「もっとしっかりしなさい」「情けない」
そんな内容の言葉を、非常にあきれた表情と口調で言われるのです。
僕がそんな夢を見るのは、最近では3日に1回ほどです。
また、口論の夢は見なくとも、毎日の夢は、ツイートでも書いているように、リアルな内容で、起きた後にひどい頭痛がやってきます。
うまく消化されずに残っている、怒りや憎しみ、恨み、理不尽さへの苛立ち
僕は、体調不良によって、日常生活に支障をきたすようになってから、どちらかと言えば、「何かを言われる側」であることがほとんどでした。
そして、たまに僕が周りに怒りを表現すると、
「あなたが怒る立場じゃない!」「こんなに色々としているのに、何が不満なの?」
という言葉を言われるのです。
僕が怒るのは、おかしい、ということですね。僕の怒りは、筋が通っていない。
そんな態度を示されてきたため、僕は怒りを感じても、それをほぼ理解をされずにおりました。
でね、今もこうして、たまに口論する夢を見たり、
また、両親の「やってやっている感」と向き合っていく中で、
本当によく生きてきたなって思うんです。
本当に、孤立無援です。
誰も僕の心に寄り添おうとはしてくれず、また、出てきた感情は「筋違いだ」と否定され、「むしろ感謝の気持ちが足りない」と言われ、
そんな環境で生きてきた。
収入は少なくても、何とか仕事をしながら、通院も何とかしながら、生きてきた。
おそらく、僕のように、気持ちに寄り添ってくれる人がおらず、孤立無援で苦しい思いをされている方は、多いのではないでしょうか。
僕の場合、僕が「いわゆるうつ病」と診断された時、僕の周り(前妻、両親、義両親)が何を真っ先に考えたか。
それは、「共倒れ」です。うつの伝染です。
それを避けるため、僕と距離をとる。それを避けるため、僕から自由を奪う、お金を取り上げる。
発症当初から、誰も協力、理解はしてくれなかったのです。
そんな環境で、何とか(本当に何とか)生きてきた。
これって、物凄くパワーが必要なことだと思います。
孤独と絶望、常に周りには「元気そう」なフリをしなければならない、そして「そろそろ大丈夫なんじゃない?」などと気安く言われる。
どうして、「生きていてくれてありがとう」っていう言葉を言われることがないのだろう。
周りの人の目線に立てば、それは当然のことだ。
なぜなら、
「僕はそこまで苦しんでいる、はずがないから」
「僕はあくまでも、精神的に未熟で弱く、一人前ではないため」
ですから、今更、両親や妻に、この僕の苦しさを理解してもらえるとは思いません。
いや、もう無理ですから。
そんな中、生きてきた僕は、おそらくとても強く、両親や妻よりも何倍も悩み、何倍も痛みを感じ、孤独を感じてきた。
確かに、それは比較はできない。しかし、それは事実なのだ。
時として、あらゆる絶望感に飲みこまれてしまいそうになる。
そして、生きているのがつらくなる。
「もう大丈夫なんだよ」「安心して、生きていってもいいんだよ」
なかなか、そうはいかないようだ。
無力さを感じる
自分は、結局、何もできないのではないか。
自分は、何も成し遂げていない。
ですが、孤立無援な環境の中に、死なずに生きてきたことは、「誰にでもできることではない」
本当に、安心感を脅かされて生きてきた。
毎日、ビクビクしていた。会社でも、家庭でも。
少しだけでも、(例えば、ツイッターやこのブログの中だけでも)、ホッと安心して、色々なことを考えたり、発信したりすることができれば良いなと思う。
そこでしか安心できない、ということが大問題ではあります。
しかし、どうしてもそのように過ごさざるを得ない状況は、無くならないでしょう。
ですから、余計に、安心感について、しつこいくらいに僕は発信したいのです。
安心感について、ゆっくりと、じっくりと、安心しながら話しませんか?
今日もありがとうございました。
やっぱり、今夜も一人じゃない。
やっぱり、今夜も安心して眠っていい。そして、明日も、安心して過ごしていいんだ。