そもそも安心なんてしていいの?
こんばんは。
今日の2つ目の記事です。
新しく読者になって頂いた方々、本当にありがとうございます。
また、ツイッターだけでなく、ブログ内でもコメント残して頂いたり、ありがとうございます。
さて、名古屋は36度、37度だっけ?かなり暑かったです。
台風の被害が大きかったようで、大変お疲れさまでございました。
仕事や学校、保育園なども大きく影響が出たことと思います。
本当に毎回、思うのですが、交通網もマヒしている状態で、どうしてそこまでして仕事に行かなくてはいけないのか?
「今日は自宅待機で!」ってトップが言えば、良いことなのに。
もちろん、様々な業界がありますし、様々な状況があります。しかし、1日くらい大したことないんじゃないかな?って思うのです。
えっと、今回はそんなことを書こうとしているわけではありません。
僕は先日、「安心感をテーマとした交流会」について触れました。
もちろん、開催は予定をしておりますし、頭の中では徐々に具体的になってきています。
文字通り、「安心感」ということなのですが
「何も知らない、何も持っていない、何もできない
それでも、安心して生きて、安心して笑って話して、安心して明日を迎える」
そのような、生きることにおける、そもそもの土台を作り直す、補強する、もしくは全く新しいものに取り換える、ことが目的です。
人と交流していく中で、「嫌われるかもしれない」とか「どんな風に思われるかな」と必要以上に考えてしまうことによって、「本当に自分は何が好きなのか、何がしたいのか」が分からない状況に陥っている場合、
もしかしたら、「自分の気持ちを素直に表現する」ことに抵抗があったり、禁止されていたり、制限されていた過去があるのではないでしょうか。
おそらく、上記のような人間関係を築く上での「恐怖心」「避けたいこと」は、多かれ少なかれ、誰でもあり得ることだと思います。
そして、誰かに相談した際には、「そんなこと、誰だってあるよ」とか「気にしすぎだよ」という返事が返ってきたことでしょう。
多かれ少なかれ誰でもあり得ること、ではあるけれども、その度合いが人によって大きく異なる。
ある人は、気になっていても、それよりも自分の気持ちを発信することを優先させる。
ある人は、気になってしまい、それが原因で自分の気持ちを隠すことを優先させる。
ここで重要な点は、どちらの人が正しいか、間違っているか、あるいは強いか、弱いか、という比較をする必要はないということです。
そして「人の反応が気になる」と言っても、その原因は様々です。
それぞれの方の背景、生まれ育った環境、今おかれている環境、が大きく関わってきているからです。
今回、「安心感」というテーマを設けたのは
「人の反応が気になる」や「人間関係の構築が難しい」「とにかく生きづらい」といった様々な困難の根本に、「安心していてはいけない」という脅威があるのではないかなと思ったためです。
人から肯定されるためには、何かをしなければならない。
何かを犠牲にしなければ、食べ物、お金をもらうことができない。
そのような条件付きの愛情が、幼い頃から当たり前のように刷り込まれ、そして自分も他人に当たり前のように、条件付きを求める。
そうした物事の考え方のスタートラインを、見直す必要があるのではないかと思っています。
遡れば、幼少期での両親その他の大人との関わり、が大きく影響していると思います。
この世に生まれてきて、泣き声をあげればミルクがもらえる、抱っこしてもらえる、熱が出れば、看病してもらえる。
一見、当たり前のようなはずの子供との関わり方の中で、どこかでズレが生じた。
もちろん、親族を亡くすなどの大きなことによる変化もあるでしょう。
しかし、案外、見落とされる部分は、「外から見たら、ちゃんとした関わりが持てている」ように見える環境です。
虐待やモラハラなど、様々な社会問題が取り上げられていますが、隠れたハラスメントによって、「精神的に不安定な状態」がノーマルな状態となってしまう。
隠れたハラスメントとと言いましたが、周りから見たら、普通の幸せそうな家族に見える。しかし、
「弱音を吐くな」「泣いちゃダメ」「男の子なんだからしっかりしなさい」「お姉ちゃんでしょ!」「とにかく言う事を聞きなさい」「口答えするな」「それぐらいで悩んでいたら生きていけない」
数々の、日常的な会話の中で、子供の感情を無視してしまう。
「なんで?」が口癖だった子供が、いつしか「なんで?」が言えない状態になっていた。
おそらく、子供も自覚はないと思います。僕がそうだったように、「みんな一緒だろう」って思うのです。
いつからか、「なんで?」すら浮かんでこなくなる。
「大人が言うんだから、そうするの!」みたいな圧力。
「あっちゃんは何がしたいの?」って友達に聞かれる
「・・・」僕は言葉が出てこない
何がしたいって言われても、そんなこと、分からないよ。
もちろん、「安心感」だけが原因か、と言えばそうではないでしょう。
ですが、僕にとっては、安心して「どうしてお母さんは怒ってるの?」と聞くことができなかった。
そして、「僕はかくれんぼがやりたい!」とも言う事ができなかった。
今、振り返り、思うのです。
「みんな、一緒じゃなかったなぁ」って。
どんな時でも、「鬼ごっこしよ!」「キャッチボールしよ!」「今日、ハンバーグがいい!」って言っていた友達は、いました。
そんな過去のことを振り返り、どれくらい不安定だったのか、両親との関わりがどうだったのか、その中で、「生きているだけで、安心していて良いんだよ」ってことを、過去の自分にも、そして今の自分にも、言ってあげられるように。
そんなことが、交流会に参加された方から、少しずつ「安心して、優しい空気の中で」話題に上がって来たらいいなぁって思うんです。
おそらく、専門知識をお持ちの方から見たら、「おかしいだろ!」っていう部分もあるかと思いますが、その辺は、しっかりと吟味していきたいと思います。
僕のブログやツイートを読んでいただき、「もしかしたら、似たような悩みかも?」って思われる方は、ぜひ、声をかけてください。
ある程度、詳しく話を聞かせて頂きながら、合う・合わないをお互いに判断して参りましょう。
長いっ!
すみません
さて、明日は1件面接に行きます。朝からですので、早目に寝ます。
それでは、
一緒に「安心感」を取り戻しにいきましょう。