「安心感をテーマとした会」について(詳細とかではありません)
こんばんは。
今日は真夏日のような暑さになりました。
カラッとした感じではなく、ジトッとしたベタベタするような気候です。
そして、また台風がやってくるみたいですね。
さて、昨日、ツイートをしたことについて、お話したいと思います。
「安心感をテーマとした雑談会、交流会」についてです。
僕は、ツイッターにおいても、このブログにおいても、何度となく「安心感」について触れてきました。
うつ病だから、とか、HSPだから、といったものではなく、人間関係を構築して円滑に生きていく上で、障害となっているもの。
僕にとって、それが「安心感」なのかなと考えているからです。
死にたい、消えたい、仕事がつらい、悲しい、寂しい、など様々な日常的に(死にたい、消えたいが日常的と言うのはちょっと、と思われるかもしれませんが)感じることを、誰かに相談するとしたら、誰に相談しますか?
僕は、もう身動きができないところまで追い詰められて、ようやく、妻や両親に話をしました。
しかし、話したところで、
「生きたくても生きられない人がいるんだよ?」
「仕事があることって、恵まれてるんだよ?」
「みんなそうなんだよ」
「誰だってしんどい時はある、それを乗り越えていくのが人生」
「じゃあ病院行けば?」
「そこをぐっと我慢して前に進むと、道が開ける」
書いていて、ムカムカしてきましたが、そんなことを言われる場面は多いと思います。
「死んでしまいたい」とすら思ってしまうほどに、気力がなくなり、ボロボロになり、傷つき、疲れ果て、ているにも関わらず、
さも、「そんなことくらいで死にたいなんて、弱い人だ」という受け止め方をされてしまう。
そして、一度そのような態度を誰かにとられてしまうと、なかなか他の人に言ってみる、ということもしづらくなります。
どうして、こういうことが起こるのでしょう。
おそらく、先ほど述べたような反応をしてくる人からしたら、
「何でも相談できる人は、自分で作るもの」「自分で自分の居場所を作っていかないと」
と考えているのではないでしょうか。
自分がその相談される人になろうともせずに。
だから、僕は思うのです。
誰か一人でも、気持ちに寄り添い、優しく安心させてくれるような存在がいたら、もしかしたら、「死にたい」とまで思い詰める必要はなかったかもしれない。
決して、「死にたい」気持ちを、別の気持ちに上書きするようなアドバイスはしてはいけないと思います。「楽しいことを考えなさい」とかがそう。
温かく、安心感に包まれて、話をし合えば、そしてその体験が繰り返されれば、
きっと自ら、「死にたい」気持ちを手放していけるのではないかと思うのです。
「僕は生きていていいんだ」「僕はこの場所で、この人に、全部話していいんだ」
そうやって、自分に対して、安心してもいいんだよ、と思うことで、何かしらの解決の糸口が見つかるのかもしれません。
そんな場があればいいなぁ、って日頃から思っていたのです。
例えば、カウンセリング
僕もカウンセリングを複数の個所で、かなりの回数受けてきました。
ですが、どうしてもお金がかかっている、ということから、「効率性」を求めてしまうのです。
50分の間に、できる限りたくさん、順序良く話さないと!
という状態です。
保険適用されるカウンセリングも受けたことがあります。しかし、カウンセラーさんはひたすら聞いているだけ。
傾聴カウンセリングというものもあるわけですし、更に僕は専門的な知識はありませんので、深くは突っ込みません。
僕にとって、「それじゃあ、どんなことが必要だったのかな?」と振り返った時に、
気持ちを表現した時に、打ち消されたり、上書きされたりせず、
どうしてそのような気持ちを持つようになったのか、それはいつからなのか、などを丁寧に、優しく、振り返っていくことができたら、良かったな、と思うのです。
「安心感をテーマとした交流会」においては、
究極に漠然とした表現で申し訳ないのですが、「今、生きて、ここで話をして安心してもいい」という気持ちを持ち帰って頂ける場にできたらな、と思っています。
そう言ってしまうと、「死にたい」気持ちと隣合わせの人ばかりが対象なのか、と思われるかもしれませんが
人間関係の構築が難しい、職場が苦しい、家族間の居心地が悪い、そういった何らかの「息苦しさ」の根本に、もしかしたら、「安心感」が欠けていることがあるとも考えられるわけです。
今後、もう少し詳しく、会、については吟味していきたいと思います。
そのため、ブログ内でもツイートでも、度々、似たようなことを発信することになるかと思います。
ご賛同頂ける方、「安心感」という言葉に、何かしら引っかかる方、ぜひ、声をかけてくださいね。
このような場を設けることで、僕自身も安心感を保ちたいのです。
うーん、安心感を得る、という表現は正しくないかな、
どちらかというと、生まれてから(生まれる前から?)そもそも持っているはずのもの
を、思い出す、という感じかもしれません。
成長していく中で、その安心感が徐々に脅かされてしまって、気づいた時には安心感なんて赤ちゃんだけのもの、のような感覚になってしまった。
大人では、「何かをしていないと」「働いていないと」「しっかりしていないと」安心して笑っていられない、という状態になっているのかなと思うのです。
ホッとするような、安心する、優しい空間を、作っていきたいなと思います。
それでは、今日はこれくらいで。
ありがとうございました。
また明日ね!