あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

お昼休憩の話から、広げてみました

こんばんは。

突然ですが、仕事している日の、お昼休みの時間って、何をされていますか?

以前にお仕事されていた方も含めて、どうでしたか?

もちろん、職種や職場によって様々な休憩の取り方になると思います。

 

基本的にデスクワーク中心のお昼休み、外にご飯を食べに行ったり、コンビニなどで買ってきたものをオフィスで食べたり、お弁当を持ってきたり、

 

例えば、お昼休みが1時間あるとすると、それが自由に使える時間であると、僕は思っていませんでした。

これも、もちろん、職場によって違うと思います。シフトの関係などでお昼休みがろくに取れないという状況もあるかと思います。

 

僕が最初に就職した会社では、常々、「給料に見合った働きをしているか?」

と言われておりました。

見方によっては、正しい考え方かもしれません。

特に、新入社員の働きでは、会社はむしろ損をすることの方が多いと思われます。

その職場でのお昼休みは45分、部署内の男性は揃って外食に行きます。時には、会社の役員もついてきます。

お米に関する部署であったため、「ここの店のお米はどうか」という視点でご飯を食べろ、と言われました。

そして、男性揃った食卓では、当然、仕事の話しかしません。お偉いさんがいらっしゃれば尚更でした。

 

また、別の部署に異動となり、お米の仕事でも、外回りの営業の部署となった時は、当然、それぞれでお昼休みを取るわけです。

ですが、その際も、「どこのお米が使われているかを聞いたりしなさい」とか「おにぎり屋さんを何店舗か回り、それぞれのおにぎりを食べ比べてみなさい」といったことを言われていました。

 

何にも知らない新卒の社会人には、少しでも仕事に関する勉強をして、知識や経験を増やしていってほしいということだと思います。

いわゆる、発破をかけて仕事をさせる、けしかける、というスタイルがとられていたため、「給料に見合った仕事ができているか?」という問いかけで、奮起をさせたいということでしょう。

 

僕はこれが当たり前、社会ではどこもそうなのかな、と思っていました。

ですから、それ以降の職場で、「1時間は自由に過ごしてください」と言われた時は、衝撃的でした。

それも、考えれば当たり前と言えば当たり前なのです。

お昼休憩の1時間は、給与には含まれていないので、好きに過ごしていいのは当然です。

 

最初の会社に在籍していた期間は8年ほど、と、そこまで長いわけではありません。

ですが、時代は大きく変わったと思います。

どういうことかと言うと、僕が退職する頃には、「休憩時間は仕事ではない」という空気に変わっていたことが感じられたからです。

 

「お米の味をしっかり確認しろよ」と言われていても、上司やお偉いさんが同じ食卓にいたら、何を食べてるんだか分からない状態です。

とにかく、迷惑をかけないよう、他の人を待たせないよう、食べたくもないような「みんなと同じもの」を頼んだり、一番早く出てくるメニューを調べて、それにしたり。

名古屋の中心街にオフィスがあったため、毎日安くて800円程度、毎日1000円札が「ほとんど業務と同じ意識の中の、何だかよく分からない定食」に消えていったのです。

 

もちろん、それがいいきっかけとなり、先輩、上司といい関係を築くことができた人もいました。

また、自分から率先して「あそこのお米はおいしいですよ~」みたいに知識を増やしていった方もいました。

 

でも、僕には合わなかった。

 

合わなかった会社の愚痴を言いたいわけではありません。

ただ、周りからけしかけられる、追い立てられるような職場だったなぁと思います。

その中での、あのお昼休憩は、しんどかったなぁって思いだしたので、記事にしてみました。

入ったばかりの頃は、休憩時間でも色々と聞いておきたい、という思いはありますが、それも含めて、業務時間内に聞けば良いんじゃない?と思います。

 

幸いなことに、最初の会社以降、お昼休みも業務のようなもの、であった職場はありませんでした。

「へぇー、そうなんだぁ。何か平和なお昼休みだなぁ」

って思った記憶があります。

 

暗黙の了解、とか、社内の常識、あるいは世間の常識、という、どうしようもないくらい意味のないもの。

一般的、普通は、常識的には、社会から見たら、国民目線では、

挙げればどんどん出てくるような、「じゃあそれは誰のこと?」という言葉

 

幼い頃から、そういった強力な「よく分からない、概念?」によって、行動の善悪や、肯定否定、優劣、強弱、を「何となく」教えられてきた。

 

やはり、そのようなものから外れること、(例えば、男性陣が揃って外食に行くのが当たり前という場の空気の中、一人だけ同行しないこと)は、ある程度の恐怖、脅威があるのではないかな。

その脅威と言うのは、「評価が下がる」や「仲間外れにされる」、「困った時に助けてもらえなくなる」ということなのかもしれない。

 

でも、今だから思えることは、

外れたからといって、その脅威が現実になるとは限らない

ということです。

「僕は弁当持ってきましたんで~」って言えば、案外、何事もなく過ぎていったのかもしれない。

 

「もしかしたら、これをしたら嫌われるかな?」「ここは、こうするべきなのかな?」

 

みたいに感じた時は、本当にそうしたいのかを自分に問いかけるといいと思う。

 

嫌われたって大丈夫、離れていっても大丈夫、何が起きても、きっと大丈夫なんだと思います。

「嫌われる、避けられる、無視されるかもしれないけど、ふと思ったからメールしてみた」

それで良いんじゃないでしょうか。

 

そうやって、小さな「ふと」を意識していくと、周りの景色が違って見えてくる気がするのです。

 

今日も、読んでくださり、ありがとうございました。

はい、今日も書いてて楽しかったです笑

 

それでは、また明日ね!