ツイッターと僕
こんばんは。
今日の2つ目の記事です。
今日は、住んでいる街の夏祭りがありました。実家から開催場所までは徒歩で10分程度なので、盆踊りなどの音楽がよく聞こえます。
そして、やはり寂しくなるわけです。
最近はそのような寂しさにあらがうことはせず、寂しさをじっくりと感じるようにしています。
さて、夜の記事では、ツイッターと僕、という話をしたいと思います。
「ツイッターと僕」なんていう物語が、あるわけではありません。
ツイッターのプロフィール画面には、2014年から利用、ってなっているのですが、アカウントだけ作って放置という状態でした。
当然、フォロー・フォロワーさんはゼロでした。
今年の5月の連休明けに、僕はHSPという概念を知りました。
まさに当てはまる項目ばかりでした。「生きづらいな」って感じていた理由がはっきりしました。
早速、HSP交流会というものに参加をしました。
その主催者さんとつながる手段として、ツイッターのアカウントを動かし始めました。
初めて参加した交流会でしたが、非常に勉強になり、更に思考が深くなるきっかけとなりました。
そして、ツイッター上で、HSP、またはうつ病などの精神疾患を抱えた方と、つながるのはどうだろうか、と思ったのです。
とりあえず、プロフィールにそれらしいことを書いていらっしゃる方を、とにかくフォローしまくりました。
すると、フォローが返ってきて、色々な方々のツイートに触れることになりました。
最初の方に、僕がどんなツイートをしていたかは、あまり覚えていません。
ただ、自分を知ってもらえたら嬉しいな、という気持ちで、オブラートに包んだ言葉ではなく、素直に出てきた言葉を使って表現をしていました。
始めたばかりの頃から、ずっとつながっていただいている方も多数、いらっしゃり、本当に嬉しいです。
僕は立場としては患者側(悩める側)です。
ですがね、ずっと思っていたんですよ。
「特別な資格や業務経験がなくても、人の心を癒すことができるはずだ」って。
今、HSPという概念を知った上で、振り返ってみると、今年の5月までの僕は、非HSPになることこそが治るということだと思っていました。
そうでなくては、社会復帰はできないのだと。そして、僕の周りもそのよう捉えているようでした(今もそうだと思います)。
そりゃ、無理でしょ。
って思いました。治るどころか、どんどん自分じゃない人間になろうとしているようなものですから、苦しくなる一方です。
そりゃ、自分の存在を否定してしまいます。
だからこそ、今までよく生きていたなって思うのです。
色々な方のツイートを見ている中で、きっと同じようなことで苦しんでいる人は多いはずだと思ったのです。
そんな苦しさが込められた誰かのツイートに、少し声をかけてみる。
そこで2,3回返信し合うことで、ほんの少しでも、お互いの気持ちが軽くなれば、素敵な場所だよなって思うのです。
その内、毎回声をかけたり、かけてくれたりする方、DMにてやり取りをするようになる方も出来ました。
SNSの手軽さは、とても簡単に人との縁を切ることができる。そして、とても簡単に新しい人と出会うことができる。
これまで関わりを持った方々も、色々な悩みを抱えていらっしゃいました。
そして、支え合いの場は素晴らしいな、と思う傍ら、
それにしても体調の波がなくならない、気分の波がなくならない、前進しない、という葛藤で苦しんで、ツイッターから離れていく方もいました。
僕は色々な方と交流したいと思っている割に、簡単に傷ついたり、いらぬ深読みをしすぎて空回りをしてしまうことがよくあります。
そのため、DMでやり取りをして、それなりに仲良くなったはずなのに、いきなりブロックされた時は、普通にショックでした。
また、妻と子がいるにも関わらず、夫婦は破綻、離婚調停中で、子供にも会えない。
そんな状態で、羨ましいなと思うツイートを見ると、寂しさや虚しさが、強まります。
離れた方が良いのかもな、と思った時もありました。
でもね、どうしても僕には実現していきたいことがあるんだ。
それがさっき言った
「特別な資格や業務経験がなくても、人の心を癒すことができるはずだ」ってこと。
絶望の淵に追いやられた時にこそ、見える景色があると思う。そして、それは人それぞれ違う。
人によっては、ODやリストカットなど、目に見える形で現れてくるし、そうしたことをする方々も、それぞれの環境がある。絶望の淵ということに限らず習慣化している場合もあると思います。
もちろん、ツイートという発信がなければ、気づくことはできないわけですが、「あれ?この人、苦しそうかな」って思った時に、たとえ勘違いだったとしても、声をかけることができたらいいなと思うわけです。
僕にも波があるので、それと付き合いながら、ということにはなります。
言葉は、人によって解釈が大きく違いますし、受け取った側の解釈によって誤解はつきものです。
そんな時でも、ふと出た言葉、ふと思い立った時、を大切にしたいなと思っています。
自分の言葉に自信がある、僕は人を癒すことができる!
というような、ポジティブ一辺倒の考えではなく、
自信についてはよく分からない、ただふと出た言葉が、その言葉だったから。
人を癒せるかは分からない、望んでいるものと違えば、癒しにはならないし、一方的に癒すということではなく、同時に僕も癒されているのです。
そんな気持ちで、ツイッターを使っています。
僕の言葉はまっすぐだ、と言われたことがあります。
うわべだけの薄っぺらい話し、と言われたこともあります。
このようにブログに綴ることも、どこかの一言で、もしかしたら心が軽くなる方がいらっしゃるかもしれない。という思いで話しています。
今後とも、よろしくお願いします。
気軽にDM送ってきてくださいね~。そして、気軽に話しかけるよう、そして無理しないようにしていきたいですね!
それでは、今日もお疲れさまでした。
おやすみなさい。